例えば性の目覚めについて改めて考えたときに、それは必ずしも異性とセットでは無いというか、むしろ目覚めは性差の自覚前に来るのが普通なのでは、と思い至った訳です。
例えば上り棒で性に目覚めたとしたら、何かチンコ気持ち良いと思っても、セックスの知識は無いわけなので、この衝動は何に対してのものなのかわからんわけです。
そう考えると性の衝動は、概ね自己に対して始まるとも言えるのでは無いでしょうか。
つまり、のぼり棒で気持ち良い俺、「えっ!気持ち良い…、何これ俺!、俺…何か変だよぅ…」
というのが出発地点になるわけで。
そう考えると、男女関係なく、エゴの発芽というか、承認欲求やら自己顕示欲とか、自意識の肥大する過程、何てのが、先ずはナルシシズムから始まるのは、無理からぬことでは無いのか、と。
そういった自我の発芽に快楽という圧倒的な後押しから目覚めた後に、それらは他者に受け入れられなければ、自己の澱から一切昇華することは無い、という現実を知る訳で。
そこからさらに諸行無常だの色即是空だのという気付きを得るのさ、たぶん中2くらいまでの頃に。
まぁでもそれを許すあの手この手を、金で成り立たせるのが現代なわけで、それら性衝動すら商売にして特化してきたこの国の出生率が上がらないのは当然な訳だ。