自分もそう。いじめられた経験もいじめた経験もあって何したかの記憶も何されたかの記憶も後悔も罪悪感もあって、こっちの都合で謝っていいような問題じゃないのは分かってるから現実で自分がいじめた相手にアクション取ることは多分ない(求められれば別だ)けど、自分がしたような経験(いじめられるのもいじめるのも)はできるだけ誰もしなくていいようにしたいから単に自分を責めるだけじゃなくていじめ関連のニュースや本を読んだり、加害者と被害者個人の問題としてだけじゃなく、人間はいじめをしがちな生き物であるという現実を認識した上でシステム的な対策ができないか考えようとしたり。
こういうスタンスの人って自分以外にもいると思うんだけど、公につながる・意見を交わす場がないから、いじめ問題で聞こえてくるのは完全な被害者かいじめられるのもいじめるのにも無縁でしたって感じの人の声ばかりで、なんだかなと思う。自分の過ちを認識している人間をもっと全体のために役立てられたらいいと思うけど、むずかしい。
※"公につながる場がない"っていうのは探したら加害者団体の一つや二つあると思うけど、「いじめしたことあります」って世間に表明することのリスクが大きすぎて、いじめ加害者は実質口を閉ざすしかなくなってるんじゃないかっていうことです。本当に反省してるなら積極的にいじめ加害者であると表明してしかるべきという意見もあるとは思うけど。