ライトノベルの話に関係なく、タイトルの様な前提がある気がするが疑問に思う
努力は尊いものであるが、それは現実において努力をしている人に向けられるべき賛美であって
物語の中で努力が描かれているから尊いというのは何か違う気がする
努力が描かれた物語を消費するだけで、本人が現実で努力をしなければまったく無意味だし
なんら現実的なメッセージもなくただ努力を賛美するだけの作品ならば、今風の言い方をすればそれは「努力ポルノ」でしょ
大体昔話の主人公とか見ると努力してるやつほとんどいないじゃん
桃太郎は動物を黍団子で買収して勝利する話だし、黍団子を作ったのはババアだし
三年寝太郎は普段評価されないやつが俺TUEEするもうラノベの原型みたいなとこあるし
物語の価値や面白さにおいて「主人公が努力した」って要素って必須でもなんでもないよね
思うに努力描写をありたがる人って自分以外の人は努力してないと思ってるんじゃない?
努力したうえで他人に負けて「自分はこんなに努力してるのにー!」ってルサンチマンから努力が結果を結ぶ物語を欲してるだけなんじゃないのかな?