2016-10-02

努力をしない物語努力をする物語みたいな前提に物申したい

ライトノベルの話に関係なく、タイトルの様な前提がある気がするが疑問に思う

努力尊いものであるが、それは現実において努力をしている人に向けられるべき賛美であって

物語の中で努力が描かれているか尊いというのは何か違う気がする

努力が描かれた物語を消費するだけで、本人が現実努力をしなければまったく無意味だし

なんら現実的メッセージもなくただ努力を賛美するだけの作品ならば、今風の言い方をすればそれは「努力ポルノ」でしょ

大体昔話の主人公とか見ると努力してるやつほとんどいないじゃん

わらしべ長者なんか最たるものだし

一寸法師欠点と思われた身体的特徴を生かして勝利する話だし

桃太郎動物を黍団子で買収して勝利する話だし、黍団子を作ったのはババアだし

三年寝太郎普段評価されないやつが俺TUEEするもうラノベの原型みたいなとこあるし

物語価値面白さにおいて「主人公努力した」って要素って必須でもなんでもないよね

思うに努力描写をありたがる人って自分以外の人は努力してないと思ってるんじゃない?

努力したうえで他人に負けて「自分はこんなに努力してるのにー!」ってルサンチマンから努力が結果を結ぶ物語を欲してるだけなんじゃないのかな?

でも現実にはみんな何かしら努力してて、その上でいろんな要素が絡み合って結果を生み出すわけで

だのに努力に拘泥するのは視野が狭いというかすごく独りよがりな考えなんじゃないかと思うんだよね

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん