真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えはNOだ。
私は相手をどう印象付けているかでフォルダ分けはしていなくて、関係性で区分している。
いい人だとか、嫌な人だとかは気持ち的にはともかく、枠組みとしてはあまり意味がないからな。
一応、「他人フォルダ」とか「大衆フォルダ」とかはあるが、しばらくして使わなければ中身はごみ箱に入れる。
真に他人に臨むときというのは総体的に評価するときであって、仮に人をフォルダに入れるなら細分化された名前になるだろう。
なので、フォルダに入れても中にあるのは一人だけであまり意味がない。
逆にそもそも腰を据えて臨むつもりがない相手ならば、容量を圧迫するだけなので残さない。
価値観の多様性を認めることも、それらの枠組みも「自分が使いやすい、容量内で」という但し書きがつくのは周知だ。
でなければ私や君のPCはあっという間に容量不足になるからな。
こういう書き方をするとアレだと思われるかもしれないが、大抵の人にとってフォルダの分け方は当事者が期待しているようなものにはなっていない。
仮に君が「嫌な人フォルダ」に入っていたとしても、その中には君以外の人もたくさん入っているということで逆も然りだ。
サブフォルダがどうなっているかが重要だという話であって、そういう簡易的なフォルダ分けに一喜一憂する必要はないということさ。
……ん? ここらへんのメディアの人たちはどうかって?