「最近のアニメは」とか「最近のラノベは」とか主語がでかい批判をされるとオタクはめちゃくちゃキレるのに、邦画に対しては自分も同じような批判してるからなんだかなあと思ってしまう。
自分の詳しい分野については主語のでかい批判を絶対に許さないのに、自分が詳しくない分野については主語のでかい批判もOKとする。
「俺はお前の好きなものに対して雑な批判するけど、お前は俺の好きなものに対して雑な批判するなよ!」って。
自分が批判されると「差別だ!」と騒ぐが、自分が差別的な発言していても平気で開き直り正当化する。
オタクのこういうところがどうしても好きになれない。
すべてについて雑な批判をある程度許容するか、もしくはすべてについて雑な批判を完全に許容しないかのいずれかの態度をとるべきなのでは。
「最近のアニメは」「最近のラノベは」などという雑な批判に対してキレるのであれば、オタク自身も他の分野について雑な批判をするべきではないと思う。
逆に自分自身が他の分野についてたとえば「最近の邦画は」などと雑な批判をしているのであれば、オタク以外の人たちからの素朴な印象論「最近のアニメは」「最近のラノベは」などという雑な批判も仕方のないノイズとして受け入れるべきなのでは。
詳しくない人は限られたほんの少しの情報から全体の印象を作り上げる。
それは愚かな態度ではあるが、同時に仕方のないことでもある。
日常的に誰もがそうやって情報処理の負担を軽減して生きている。
興味のない分野についても日々徹底的に研究して生きていけるほど人生は長くはない。
もちろん断片的な情報から作り上げた印象というものは真実の姿とは全然違うものではある。
けれどその人にはそう見えたというのはまた事実なわけだ。
オタクが「最近の邦画は」というとき、もちろん最近の邦画を全部チェックしてるわけがないし、目立つところにあるものの印象で邦画全体について語っているのではないか。
邦画についてはにわかにすぎないオタクには最近の邦画事情はそう見えるということであり、それは熱心な邦画ファンの目に映る邦画事情とは異なるだろう。
単純に想像力が足りてなくて自分の感じたこと、考えていることでキャパが埋まっているからだと思う。
オタクは犯罪者だから仕方ない。そもそも脳の出来が違うんだろう。
脳の作りが違うのは間違いないが、せめて犯罪を犯してから、犯罪者と呼んでくれ。
これもまた「最近の邦画は」と言うオタクもいれば、そう言わないオタクもいる、という雑な「最近のオタク」語りになるのでは。
主語がでかい警察があんまり湧かないの不思議だよねこういう話題
「最近のアニメは」とか「最近のラノベは」とか主語がでかい批判をされるとオタクはめちゃくちゃキレるのに、邦画に対しては自分も同じような批判してるからなんだかなあと思って...