増田も含む各種SNSにおいて、ひどい暴論や下ネタが跳梁跋扈しないのは、つまりは無視されるからだ。
なんの反応も得られないままそれでも暴論や下ネタを続けるのは強靭な精神力が必要。多くの人はそれに耐えられない。
だから人々に反応をもらえるような内容や文法を駆使して切磋琢磨する。それは美しく正しいあり方だ。
しかし、そうわかっていてもときたま反応をしたくなるような代物がある。そういった点では才能あふれるテキストだ。
前記のように無視するのが1番効果的。でも、なにか口を挟みたい欲求にかられる。
漫画ににおける静寂を表す言葉として”シーン”という擬音? 擬態音? がある。
そこから転じてリアルにおいておもしろくないことをいうと口で「シーン」という。
昭和の技法ではある。現在使ってるのは若いつもりでいるスナックのママ位だ。
しかしながらネットにおいて今こそ活用すべきではないかと思うのだ。
「おまえなんか無視してやる」ということを表明するための「シーン」。
別に「シーン」でなくてもかまわない。要は積極的に無視するという表明だ。
増田においては某氏の無言はてブがその役割を果たしてるのか?と思うときもある。
どこかでそういう大きな流れができないかと願ってる日々である。
でも俺たち馬鹿は無視と放置の区別がつかないんだよな
そうなんだよな。 それとの区別も問題だ。