映像作品に対して「脚本は良かったけど映像は微妙だったね」やそれとは全く反対の事を言っている人を結構見かける。
いや、正確にいうと「少し考えれば自分がおかしなことを言っているのだと気づくはずだろうに」としか思えない。
それはあたかも料理の味と匂いと見た目とそして名前が切り離せないのと同じように。
コーラの瓶にコーヒーが入っていたら誰もが面食らって一口飲んで「まずい!」と言うことだろう。
納豆の匂いがするケーキがあったとしてそれは惜しく食べられるだろうか。
しかしここで考えて欲しい。
それだと言うのにどちらか片方を「なんてややこしい瓶なんだ!こんな瓶を作ったやつはゴミクズだな!」と非難するのはおかしいと思わないかね。
もしもここで悪者がいるとしたらコーラの瓶にコーヒーを注いだ人間だと誰もが思うだろう。
時に監督は作りたい映像のために脚本の整合性を犠牲にしたり、反対に物語性のために映像としては退屈なシーンを要求する。
こうして出来上がった作品の中には、監督のイメージした作品作りの結果犠牲になる部分が出るかもしれない。
それに対して「この作品はここが良かったけどここが駄目だった。全くこのスタッフは本当にチンカスだな」というのは実に物の見方が狭すぎはしないだろうか。
と私は思うんだがね。
もしかしたら私の物の味方が大局的すぎるのかも知れないなとも時折考えないでもない。
単にヘイトする上での逃げ道の確保をしてるだけだよ
作品という塊の長所と短所を述べてるのではないか? 比べたときにたぶんその人の主観で優劣がわかりやすくでていたからこそ意見したくなるみたいな。 そもそも映像と脚本をきりわけ...
えー、だって絵はきれいだけど話はスカスカな作品とか本当にあるんだもん むしろ良いところを褒めようとすると「……絵はきれいだったね」と言うしかないんだよ ケーキで例えるなら...