とはちょっと違うかもしれないけど、芸術人の孤独みたいなものがやっぱりあるよね。あるよね?
我々音屋にしてもそうで、なかなか目の前の音を観てくれない。
オーディエンス(聴衆)が互いに隣や周囲ばかり見ててステージのほう見てくれない。比喩的な意味で。
そこには芸術家の苦悩が赤裸々に綴られていた。やっぱりそういうのあるよね。
今の時代はルネッサンスと違って、インターネッツで観衆どうし簡単にやりとりできる。
作品そのものを見てほしいのに、作品が独り歩きしてファンの間で共有されていて、
正直今どきそんなの気にしてる時点で向いてないよと言われちゃったけど。
ネット見なきゃいいじゃんとも。そういうことじゃないんだよな。ちゃんと伝わってほしい。
良いものを作ってれば伝わる人には伝わるとも言われた。それは一理ある。
だけど俺の場合伝わったと思ったら伝わった旨を作者にメールしたくなるんだよな。俺だけ?
勘違いなのに理解者を気取ってるかもしれなくて怖いけど、迷惑かもだけど、送ってしまう。
だけど、そういうメッセージを貰った話は身近では聞かない。メールでも口頭でもいいんだけど。
それって伝わってないってことなのか、そもそも伝えようとしてるものが大したものじゃないのか。と考えてしまう。
根本にはひらめきや気付きで美しいと思ったものの完成した姿を見たいという動機があって作ってるんだけど、
自分がそうだったら嬉しいと思うか、が大事だとは思う。 俺ならメールは嬉しい。 ただしストーキング気味のものや、ファン熱が高まるあまりマニアックな注文をつけちゃう悪い意味で...