約10年前、中学受験をし、県外の中学に通うことになった。そこで立ちはだかったのが電車通学だ。
もみくちゃにされて押し込まれ、目的の駅に着いて「降ります!」と叫んで通してもらおうとしても降りられないことがしばしば。
ドア付近に立ち、荷物が邪魔にならないように床に置くと、自分の身体だけ流され鞄と別れをつげることになる。
無事に座ることができ、小さく丸まって眠りについた。
浅い眠りと目覚めを繰り返し、目的の駅の付近でしっかりと起きた。
早目に降りる準備をしよう、と顔を上げると、目の前に白髪の紳士風の方が立っていらっしゃった。
その方は降りようとする私に向けて「ちょっと待っていなさい」と手をかざす。
わけもわからず座ったままでいると、紳士なおじさんは、「降りる人がいます」と周りに伝え、人が通れるようなスペースを作ってくださった。
そうして私に「どうぞ」とおっしゃった。
何度も何度も「ありがとうございます」を繰り返し、開けてくださった道を通って無事に下車した。
猛暑日に体調を崩した時は、おばさんがそっとウェットティッシュと飴をくださった。
ずっと眠っていたら、「きみ、いつ降りるの? 大丈夫?」とそっと声をかけて下さったおじさんがいた。
当時は中学生で若者の中でもさらに若者で、むしろこちらが気を遣うべき側だった。
しばらくすると体力がついてきたため、きちんと降りられるようになったし、座らなくても大丈夫になった。
お年寄りに席を譲ると「ありがとうございます」と言ってくださった。
今でも電車を使っているが、トラブルは絶えない。むしろ当時が不思議なほど恵まれていた。
中高生が騒いだり、目の前に立ってたのに割り込まれて座られたり、ぶつかったぶつかってないで口論になったりする大人を見かける。
ならばお年寄りは皆いい人か、というと、必ずしもそうとは言えない。
私は、あのおじさんおばさん達のように年をとって、思いやる気持ちを忘れたくないな、と思っている。
追記(2014/10/26)
「電車で白髪の老紳士に助けられた話」ってタイトルだったらいい話だと思いますけども