援交してそう。で世界一というレッテルを貼られてる咲-saki-阿知賀編の新子憧など
アニメヒロインにあまり貞操観念的なものを感じさせない設定ないしファンのそうであってほしい
願望のような物が彼女たちの中にあるように感じられる。
問題は何故アニメヒロインにはエロゲーほどの処女信仰が見られないかである。
一つの解答としては、アニメ作品は常に流動的でこのヒロインが今期一番だといわれても
次のクールにはそのヒロインが今期一番といわれなくなっている所が大きいのではないか。
つまり飽きられるので、多少の貞操観念の薄れ程度では大して人気の幅がぶれないわけである。
逆にエロゲーのようにこの日この時を待ち望んでいたファンの願望が大きく叶うかもしれない状況があって、
それがエロゲーヒロインに余す事無く注がれるため、ヒロインが処女で無ければならないという価値観が
先入観として既にあるため、それが破られた時無性に腹立たしくなるのである。
かの有名なたまきん事件では、彼氏が居るにも関わらず貞操観念ゼロの幼馴染ヒロインの存在がネックだったのだろう。
エロゲーは人生と達観するエロゲーマーが多い中で処女性の有無はある意味タブーなのである。
一方、アニメヒロインは年に何十、何百というヒロインが創作されるため、
エロゲーマーのようにこれ一本のために、という人は中々出にくいのが現状だろう。
そのためか、アニメヒロインが既に貫通済みでもさして問題がないのも頷けるのである。
エロゲーで言う所のアトリエかぐやの作品がアニメには多く存在するし、それがトレンドなのであるから、
ヒロインの処女性どうこうで人気が失われるということはまず無いと言っていい。
逆にアニメヒロインの処女性で作品人気がどうこうなるのであれば、それは単純に脚本が悪いのであって、
それらを求めるファンにしてみれば当然の主張であろう。
いずれにしても、アニメヒロインの処女性がエロゲーほど重要じゃない理由について、ヒロインに処女性を求めることは
そのヒロインに自らの人生を賭けたエロゲーマー並の執着心というよりは、むしろそのヒロインだけを半永久的に愛せる人間しか
いないはずである。
要するに、アニメのように常に流動的に作品が生産される中で登場するヒロインの処女性などは、そのアニメヒロインを以前から周知していて、更にそのヒロインのためなら人生を投げられる精神がなければ、さして問題にされることはない、という事である。
ハイハイ、どうせアニヲタは非童貞の浮気性で、エロゲーマーは一途な魔法使い童貞ですよ。 汚れててわるうございましたね。