何か勘違いしてるようですね
手を使ってゴールまで走れば楽だし自由です
でもそれは反則
ゲームとは基本自由なのを縛る事を前提とした遊びです
ゲームの空間ではゲームの外と違ってその中でのみ通用するルールによって縛られて自由を奪い取られる
その自由を奪い取られた「出来る事」「ゲームに許された行動」のみを使ってゲームのよって与えられた「目的を達成する」遊びです
これはまず大前提
その中での「自由」とは、「「制限された中で出来る事」、「ゲームによって許されたやってもいいはずの事」をどれだけ出来るか?」の事
またはどれだけ「許されているはずの事」をきちんとできるよう再現されているか
サッカーでいったら
手でボールを持っちゃいけないのはルールにそれを制限するように記載されているからで
それがかかれていなければ逆に言えば手で持ってもいい事になる
ので、レールに記載されていない事をさも当然課のように出来ないか、それかルールにかかれていなければ出来るか?
それこそ自由度について
そうしたら特に禁止されなければ隅から隅まで歩けなければおかしい
もしも通れないと言う特別なルールの制限も無いのにいけない場所が存在したらそれは不自由
さらに進んで、ゲーム側の指定した道しか通れないなら不自由しかない
だから、ゲームでは通れないと言うルールを作る事で道を制限して初めて理屈の通ったゲームになる
例えば、壁や石で出来た山と言う記号、川と言う記号、谷間と言う記号
これを表示したらここは通れない
逆に言えば制限されていない事は完全に自由に動けなければいけない
それこそが自由
それで、石の山や壁で制限されていけない場所には、作った側の簡単には入られてはいけない都合で態々入れないルールを使って守っていてそうなってる訳で
その石の山や壁で制限されて入れない場所にどうやって侵入するかを試行錯誤するとそこで初めてゲームらしいゲームになって来る
無事進入できると、何か特別な事は起こったりする
やってはいけない事、やられたら困る事を徹底的に制限するからこそのそれ以外は完璧に自由
今の言ってる自由度の高いゲームと言うのは逆に「出来る事」「やれる事」から作って、出来る事を一つまた一つと作って与える事で自由を与えているけれど
一つ一つやって良い与えた事だけやれると言うのは自由とはいえない
自由とは完全に自分勝手に動ける事
与えられた事だけ出来ると言うのは与えられた自由
与えられたやっていい事から選びなさいと言うのはむしろ強い束縛感を感じる
そういうもの
与えられたやれる事は自由とは違う
どんなに次々与えても
本当に自由なら際限ない
でももともと持ってる自由を制限する事は出来る
そもそも自由度の乏しいゲームなんて物はゲームとして成立しないし、長く語られるようなゲーム、高い評価を得たゲームってのは新旧問わず大体高い自由度がある 新しいゲームにそれ...
何か勘違いしてるようですね ゲームとは「自由度を制限して楽しむ遊び」です 例えば「サッカー」もゲームですね 手を使ってゴールまで走れば楽だし自由です でもそれは反則 ゴー...
ゲームとは制限された中でどう目的を果すか?という遊びの総称
何故制限するか?と言うと完璧に自由だから 完璧に自由だと好きなところに好き勝手行って好きな行動をしてしまうから それを制限して指定したやりかた以外できないようにする そう...
新しいゲームにそれが無いと喚いてる連中 だから喚いてるのは一人しかいねーよ Skyrimの「自由度」は言うほど自由なデザインにはなってない、といった個別タイトルの評価はそれと全...
>新しいゲームにそれが無いと喚いてる連中 俺(=ANOSとかスペンらキーとかローグライクとか言ってる人)は新しいゲームにも自由度はあると思ってる。 レッドシーズプロファイルや...