子供の頃は兄とばかり遊んで、自分より下の存在がいないことがずっと不満だったので
長男が生まれたとき、ほんとうに嬉しくて目に入れても痛くないほど可愛がり、世話をし、一緒に遊んだ。
遊ぶときはいつも子どもと同じレベルになって、いないないバアをし、追いかけっこをし、
おままごとをし、ごっこ遊びをし、工作したり迷路を作ったりし、今(小1)も同じアニメを見て語り合ったりしている。
子どもと同じ目線で遊ぶことが楽しかった。かけがえのない親子の思い出をいっぱい作った。
しかし子供というものは一度ツボに入ると何度も何度も何度も毎日毎日毎日同じことを要求してくるので、大人の側は絶対に飽きる。
それでも飽きた頃には成長して別の遊びに興味を持ってくれるので、また楽しく遊ぶことが出来た。
次男が生まれて同じように遊ぼうと思ったとき、全ての遊びにもう飽きていることに気づいた。
一生懸命遊んでやろうとするが、こっちは心から楽しめない。保護者、教育者としての目線しかなかった。
俺が遊ばなくても長男が同じレベルで遊んでくれるので、遊ぶ時間がそもそも圧倒的に少ない。
俺は父親とはほとんど遊ばず、ほぼ会話もしないまま大人になった。
それは俺が次男で、父親にとって遊び飽きた相手だったからなのだろう。
次男が生まれてはじめてわかった。
俺は父親には何のわだかまりもなく、これ以上関係を深めたくもなく、年に数回合うだけで
多少人並みの親孝行をして、そのうち死んでいってもらえればいいと思っている。孫も見せたし。
死んでも多分泣かないと思う。
父親は俺の兄を俺よりよっぽど濃密に接し、厳しくしつけたが兄は今実家住まいの半ニートである。