2014-01-06

自分幸せになるイメージが全く浮かばない

小学校に入った頃からよく死にたいと思っていた。中学校高校大学社会人になっても同じだった。どこかで聞いた「人生は辛いもの」という言葉を反芻しながら生きてきた。特に誰かにいじめられたこともなく、誰かをいじめたこともない。誰かが求めることをこなし、誰かが求める関係を維持し、それだけで生きてきた。ずっと疲れていて、ずっと眠いと思っていた。眠ること以外は何も求めずに生きてきた。幸せを感じたことはなかった。

好きな人と一緒にいるとき幸せだったかもしれない。でもそれは距離があるときだけだった。仲良くなり、長く一緒にいたいと言われると体中が拒否した。心の中の何かが強烈に拒否した。好きな人と長く一緒にいることは幸せなことではない。徐々にそう思うようになった。だから、仲良くなろうとしてきた相手を全て拒否して生きてきた。友達好きな人も。

理由があるとすれば両親だろう。物心ついた頃から仲が悪かった。ずっと喧嘩をしていた。毎日のように横暴な父親と戦う母親を見て育った。父親と普通に話しているように見えたその直後に、裏で父親をボロクソに言う母親。酒を飲んで子供を聞き役にして支離滅裂な会話を楽しむ父親。突然理不尽なことでキレる父親。常に不安定だった。それが普通家族だと思っていた。普通人間だと思っていた。ずっと見てきたその光景が、心の中に刻み込まれているのだと思う。そうじゃない人もいるはずだと分かっていても、刻み込まれたそれは消えない。

おそらく幸せとは、人から受け取るものなのだと思う。好きな人と一緒にいるとき、短時間でも感じられた幸せは、確かに幸せだった。あれを素直に受け取れたらいいが、心の中の何かが拒否する。だからそれ以上は近付けない。何度か近付こうとしてみたが、嫌いな食べ物を美味しいと思えないように、それを幸せと思うことはできなかった。

眠ることだけを求めて生きてきた。何も考えたくない、何もしたくない。それだけが望みだった。今も変わらない。変えたいけど、変わらない。

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