案の定というか、この問題は「過ぎたこと」として、忘れるか他の問題にシフトしてしまっている。
自分たちの代弁者が政治の場にいないなら、利害の一致する人や会派と繋がりでも持っていない限り、政治的な影響力は皆無に等しい。
土壇場になってからでは遅い、というのが最も重要な教訓ではなかったか。
自分のように創作にも創作物の消費にも繋がりが薄い人間から見ても、力不足な運動の方法論がとても気になる。
これは、強力な表現手段としても機能する創作分野が、政府や法律をどう解釈し、付き合っていくかという、避けて通れない課題でもある。
「クールジャパン」というディズニーもどきの政府戦略に安心している場合ではない。
政府にとって都合のよい文化を宣伝するということは、政府にとって都合の悪い文化は見せない、ということと同義である。