今日、病院のトイレで用を足した時に、便座を拭く薬品の入った装置が設置されてた。トイレットペーパーに吹き付けて、便座を除菌殺菌するための装置だった。
これまでにも何度となく目にしてきた仕掛けだったんだけど、ここまでする必要があるんだなあってふと思った。
無論、間接的にではあれ、肌と肌が、準秘部とも言うべき身体の部位が触れ合うわけだから、装置の意義がわからないわけじゃない。今日だってつい使ってしまったし、病的な潔癖装置だと避難したいわけでもない。
ただなんというのか、間接ケツは駄目なんだなあって、しみじみと思ってしまった。ケツ、駄目なんだなあって。
間接キスならまだわかるんだけどね。気恥ずかしかったり気持ち悪かったりする心情は、漫画なり小説なりドラマなり物語の中でよく登場しているし、日常生活でも子供の頃に冗談として消化しているから理解できるんだ。
その点間接ケツの嫌悪感は、もちろんわかってはいるつもりなんだけど、ぼんやりしている。いい気分じゃないことは確かだけれど、そこまで気にするものなのかしらんとも思ってしまう。
場所も関係しているのだろうけれどもさ。腰を据えた便座が、例えば人気のない公園の、薄暗い、アンモニア臭が漂う公衆トイレだったなら、生理的嫌悪感がもうぞわっと込み上げてきて、切羽詰まってさえいなければ使わなかったに違いなんだから。
でも、今日肛門に力を込めたのは病院のトイレだった。綺麗に清掃してあって、臭いもない。見たところ、汚れも跳ね飛んでいない便座なのに、清潔にするための、殺菌除菌するための薬品がぽんと置いてあって、ああやっぱり便器なんだなって、汚れていることが無理矢理可視化されているような気になってしまった。
まあ確かに、誰ともしれないケツが、ベッタリと便座を覆うように乗っかっていなかったとは言い切れないわけなんだけれどもさ。
使い続けているキーボードとか、マウスのほうが雑菌が多いとか何とか言われていたことを思い返すと、ATMの液晶とか、トイレの蛇口とか、仮にそういう装置が置かれてしまったならば、汚いことが表立ってしまう施設なり装置っていっぱいあるような気になってしまったわけで。
間接キスも間接ケツも、ある種汚らわしいように扱われている現在、間接タッチも嫌悪されるようになるのかしらんとか思うと、なかなかどうして想像が飛躍する。