自分が長かったからってのもあるんだけど、中学くらいになってまた入院する羽目になった時にふと気付いたこと。
ただ、表情や、人とのコミュニケーションや距離の置き方が、独特なところあるよなって思ってるんだ。
こどもが入院していて、それを親とか友達が見舞いにくるじゃん。
扉が閉まるまで手を振る。扉が閉まって、手を下す。
その時のなんとも言えない表情が、とても見慣れたものだった事にハッとした。
同時に、あの子はまだ入院して数週間くらいなんだろうな、と思ったことにも。
同じ子どもとして、見送りきった後にすぐ声をかけたりはしないんだ。
彼の中で静かに、諦め・寂しさ・物悲しさ・楽しかった時間の余韻が入り混じってて
それを「入院してるぼく」から「院内コミュニティのぼく」に切り替えて引き出すまでの時間が必要だろうから。(本人がこっちを見て嬉しそうに話しかけてくれたら別だよ)
…うまく伝わるかな、伝わらないかもな、ごめん。
親や看護師さんとかは、そういうのを寂しそうって言うんだろうか。
それは間違ってるわけじゃないけど、違うよ!って思ってる。
でも、じゃあ何?って聞かれるとうまく言えない。
状況を諦めて受け入れて、その中で遊ぶたくましさがある。
でも寂しさ、足りない感じからコミュニケーションのやり方がすこし日常とはずれちゃうのかな、
思い切った踏み込み方、べったりと、でも妙なとこで線を引いたり後ずさるところが、長期入院の子には共通してた。…ように思う。
後ずさってしまった時の、空いた距離の埋め方とかもな。
性差というより、入院している時間が長いほど、独特の気遣い方に長けていったように思う。
不思議だなあ。
そういうの、何て表現したらいいんだろうなって、三十路過ぎてもまだわからない。
今も入院してる子どもや、大人になった子、友達や看護師さんや親は、どう感じてるものなんだろう。
三行開けで空行一つ。
brタグでいいだろ
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