自ら作り上げ施行しているにも関わらず、その法律を破る事に対する独占権を主張するのが政府というもので、これは遥か昔から人類が直面してきた脅威的存在だ。健全な政治的思考における最重要課題は、この権限をいかにして制限するかという事だが、更にひどい事に、この連中は金の製造権をも独占せんとしており、その権利の乱用の代償を支払うのは私達だ。
さて、選挙はどうやってこの状況を解消するのだろうか?どの候補もこの問題をどうにかしようとは思っておらず、むしろ悪化させようと企んでいる。これには理由がある。政府は「民主的プロセス」というものを牛耳っており、これは政府が労働省や国防省等を所有している事と全く同じで、自分のみの利益のためにその権力を行使しようとするからだ。
しかし、我々には選挙に行かない自由がある。今の所投票は強制ではない。この権利を行使し、投票に参加しない事を私は推奨したい。これは我々に残っている数少ない権利の一つだ。非参加を通じて、こんな馬鹿げた騒動などまっぴら御免だ、というメッセージを彼らに対して送る事が出来る。
そんな事に意味など無いと言うかもしれない。しかし選挙にどんな効果があると言うのか?選挙は彼らに「権限」をいう最も重要な力を与えてしまう。しかし、非参加を通じてその権限を否定する事も出来る。我々の合意なしで支配しているのではないかという恐怖を覚えさせる事が出来る。これは良い事だ。政府は国民を恐怖してこそだ。投票しない事はその恐怖を植え付ける第一歩となり得る。
今年の(大統領選挙)には「より悪ではない候補」などない。社会主義とファシズムの二択だ。新のアメリカ精神を持つ者なら、そのどちらに対してもノーを突きつけるよう全ての有権者を導くべきだ。