それが年間100万近く払うほどの価値があるのか?って話じゃねえの?横だけど。
これは「『重いものを運べる』『疲れない』『急な雨に濡れない』の対価として年間100万円は妥当か」という意味で十分解釈可能なので、僕は好意的にそう解釈し、事実そういう意味であった。僕と彼のコミュニケーションは問題なく成立した。
君は、彼が話を大きく読み違えて「おまえら個人にとってどれだけ価値があるか」という話だと誤解している"可能性がある"からと、誤解していない可能性も十二分にあるのに、自分の解釈が間違っている可能性を疑わず、悪意的に「誤解しているだろう」と判断し、彼の発言の趣旨を読み違えた。君と彼のコミュニケーションは成立しなかった。
正しく話の流れを理解しているものとして十分解釈可能なら、そうすべきだし、それで君みたいな悪意的解釈をする人間以外とのコミュニケーションは十分成立するよ。
話を続けてどうも噛み合わないというときに「もしかしてこいつは話の筋を誤解していて、あの文の自分の解釈は間違っていたのでは?」と改めて考えればいい。
現実的利害が絡むわけでもなければ、揚げ足の取り合いをしに来ているわけでもないんだから、相手が好意的に解釈するものと思ってそう神経質にならずに表現するのが普通。
読み手側も、できるだけ好意的に解釈するか、さもなければ「どっちの意味で言ってるのか?」と直接聞くのが当然。
ここでいう「適正である」とは、文脈上、「客観的価値を反映している」、つまり「『車いじりが楽しい』とか『ほんの少しだって歩くの嫌』とか『見せびらかしたい』といった主観的価値を抜いてもそれだけの価値がある」、という意味だが
市場価格が基本的に客観的価値を反映しているものなら、アニメのフィギュアにン万円、男の娘エロ同人の薄い本に1200円の「個人的な事情でない客観的な価値」があるということになるね。
読み手側も、できるだけ好意的に解釈するか、さもなければ「どっちの意味で言ってるのか?」と直接聞くのが当然。 もちろん、できるだけ好意的に解釈した上で、やはり それが年...