身体的特徴がきっかけでいじめの標的になったなら、本人の努力ではどうにもならない。
他のことで頑張っても、結局のところ、身体的特徴を理由にいじめの対象から逃れられない。
仮に、本人が努力改善できることが理由で、いじめられたとする。
いじめられてる子が自分で考えて、問題と思われる部分をなおしてみる。いじめの理由がそれでなければ、状況は改善されない。
さらにその子が考えて、別の部分をなおしてみる。それがいじめのきっかけだったとする。どうなる?
いじめのきっかけだった問題が消えて、いじめがおさまると思うか?
おさまらないよ。既に「いじめの対象」という存在になってるんだから。
いじめの正当化理由なんて後でいくらでもつけれる。
今の日本の教育では、「みんな仲良く」が至上命題のように考えられている。
和をもって貴しとなす。
そりゃ確かに理想だ。
いじめられてる子だって、みんなと仲良くしたい。みんなとわいわいやりたい。
だから、自分の悪いと思うところは頑張ってなおそうとする。
しかし、一度、「いじめの対象」となってしまうと、その努力はどこまでいっても、「みんな仲良く」にたどり着けない。
最初は、仲良くしたいと思っていた。
仲良くできることが普通なのだから、普通になりたいと思っていた。
普通じゃない自分を恥じた。だから頑張った。
何度も自分の問題を探し、何度も修正し、何度も自分を責め、何度も改善をする。
しかし、誰も認めてくれない。そこに出口はない。
繰り返しているうちに、どんどん自分という存在に対する自信がなくなってくる。
自分はどれだけ努力しても、周囲に受け入れられない存在なのではないかと思えてくる。
自分が正しいと思ってることが間違ってるんじゃないかと思えてくる。
自分の存在価値が信じられなくなってくる。
そして、もう何をどう改善したらいいかわからなくなった時。
自分の生きている価値を感じられなくなった時。
親にとって、こんな恥さらしの子供がいるより、いなくなったほうがましだと思った時。
行き場をなくして、死を選ぶんだよ。
誰かが「努力は間違ってない」と認めてくれる。
「受け入れてくれない奴のほうがおかしい」と言ってくれる。
ただそれだけで踏みとどまれたりするんだよ。
必要なのは、正当な評価をしてやることなんだよ。
悩みや苦しみも含めて認めてやることなんだよ。
存在の価値と意味を肯定してやることなんだよ。
戦い方なんか、その次の話だ。
「死ぬな」と軽々しくいう奴らに問いたい。
お前ら、本当に死を選ばざるを得なかった彼らを少しでも認めてやったか?
「死ぬことより怖いことがあるから、死んだほうがましなので死ぬ」という気持ちを少しでも理解しようとしたか?
お前が、死ぬのが怖いだけだろ?
お前が、人死にを意識するのが嫌なだけだろ?
最後の8行とそれまでの内容が凄まじく繋がってないんだけど。 元増田はいじめ被害者に対して、「死んでもいいんだよ」って認めてるように見えるけど? 自殺を真剣に考えてる人間に...
そりゃ、屋上の柵をこえて、手を離せばもう落ちるって子には「やめろ、死ぬな」しか言えないさ。でも、それ言ってる奴って誰よ。 そんな煮詰まった状況で、他人の話なんか聞いて...
p