2011-12-17

小さい頃から母はとにかく怖かった。

優しいときもあったけどでも怖かった。

ヒステリックで、怒鳴って、叩いた。

お母さんと友だちみたいに話す友だちが羨ましかった。

お母さんに好きな人を話している友だちを本当は羨ましく思った。

私もお母さんと仲良くしたかった。

お母さんが怖かった。

中学生になると、私も反抗的な態度も取るようになった。

でもお母さんが怖かったから怒られながら心のなかで「しねしねしねしねしね」と唱えるだけ。

キッチンばさみを投げつけてきた。

風邪中学を早退したときに、学校にお母さんが迎えに来た。

何かを言ったのか覚えてないけど、お母さんはものすごく怒っていた。

すごく雨がふっていた。家について玄関にあがろうとしたら

お母さんがものすごい勢いで泣き叫びながら私の肩を押す。何度も押す。

私は無抵抗にどんどん庭に押し返される。すごく雨がふっていて、お母さんは何かを叫んでた。

今まで怒られて私が泣いても、お母さんが泣くことなんてなくて、びっくりして雨に濡れた。

ちなみに私は小学校中学校生徒会会長をしたり、成績も優秀な方だった。

大学の時がピーク。

当時付き合っていた男のことをお母さんがすごく嫌っていて

何かにつけて怒られた。私も反感を買う様な態度ばかりとった。

毎日2階の部屋にいるとお母さんがお父さんに私の嫌なところを怒鳴って話していて、

お母さんが本当に大嫌いだった。

だいたい口を効いてくれなかった。

そういう期間が半年くらい続いた日、同じようにお母さんと喧嘩をして

私はどたどた2階に上がってふてくされていた。

時間かして喉が渇いたので1階に降りていくとお母さんが流しで

包丁を両手で持ち、首に当てて泣いていた。

驚いて姉を呼んだ。お母さんは死なせて、とか、うるさい、とかずっと叫んでいて、

お父さんが包丁を握ってお母さんを平手打ちして抑えた。

お父さんは手から血が垂れていた。

救急車を私が呼ぶことになった。

姉に言われて「サイレンを鳴らさずに来てください」とど田舎らしい注文をつけてみたが

おもいっきり鳴らしてきた。

お母さんは救急隊員の前では平然を装って病院には行かず、隙を見つけては包丁を持とうとした。

姉が家中刃物タオルくるみ、持って寝た。

翌日お母さんは実家に帰り、私はお父さんと2人でご飯を食べた。

そこで初めて、お母さんが実はもう何年もうつ病だということ、リスカなど繰り返していることを聞いた。

お母さんとどう接していいかからなくなった。

怖い人じゃなくて弱い人だった。

心の弱いお母さんを自分がさらに苦しめていたんだと後悔した。


自分もお母さんに似てきた。

こんなところ似なくていいのに。

心が弱すぎて疲れる。

どんどん弱くなる。

表面を繕っても、それが剥がれた瞬間よけいに弱くなる。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん