『勉強できる人しか便利に暮らせない社会』ってタイトルで記事が投稿されてるだが、この記事馬鹿みたいだ。
事務職に就きたいと思ったら、ワードエクセルは当たり前。
子育てしようと思った未来のおかあさんも、子育てを一から勉強して、何が安全で何が危険か、自己判断しなければならない。
行政サービスを利用する際も、あの煩雑な手続きを理解して申し込むのは一苦労だ。
便利さにアクセスするためのハードルは、見えにくいところでとても高くなっていて、その恩恵に与れるのは、自分で調べて勉強できる人・賢い人だけだったりする。
昔は新人以外は、ワードエクセルという共通スキルじゃなく、それぞれの業界の業務経験を問われたんだがな。
ワードやエクセルで作られたスケルトン、もしくは専用の業務アプリが使えれば、素人でも事務処理ができる。
スキルと言う視点で見れば、昔よりも格段に、職に就きやすくなってる。
地域や集落の知見=老人を排除して、都市で若者だけが生活することを選んだのだから、当然の帰結として知見は失われる。
結果得た物が、信頼のおける医療施設やネットで共有化された情報だろうに。
そこで「自己判断しなくちゃいけなくなった」と文句を言うってのは、どんな了見だ。
そもそも、「便利な世の中」関係ねぇだろ。老人の世話を捨てて、自分の時間を作っただけだ。
行政サービスについては「昔の方が」圧倒的にアクセスし難かった。
うちの65になるばぁちゃんも、WEBで公民館の予約してる、役所の事務処理と比べて、なにが難しいんだよ。
この記事を「なるほど」とか言って読んでる奴、やばいぞ。
ExcelやWordの使い方憶える程度のことを「勉強」と定義するならそのブログの言う通りと思うけど、 実際は「ExcelやWordの使い方憶える程度のことを「勉強」と考えてしまう人は便利に暮ら...
実際は「ExcelやWordの使い方憶える程度のことを「勉強」と考えてしまう人は便利に暮らせない社会」が正しいと思う。 それを言うなら、「昔からそうだった」よ。
そりゃそうだわ