あの時、父さんがキレたその理由は、小学一年くらいだったかな、いつものようにお父さんと二人でお風呂に入った、背中を流し合って風呂に浸かり100数えて上がり、いつもカラスの行水だって言われてた。その日もおれは先に上がって風呂から出た、母さんは夕飯の片付け、おれは居間でテレビ番組に夢中。なにかの音が聞こえるなーって気に鳴り出した頃には、もう、その音がし始めてから、けっこうな時間が経っていたと思う
母さんが、なにか言ってる、おれはテレビに集中してたから、「なんか聞こえやしない~」、そういえば、なんか聞こえる、なんだろう?、遠くの方で、がっがっって、
その音は、お風呂の方からだった、母さんがおれに「見てきて」と言う、風呂場に着いたら、擦りガラスの向こうに、動くおおきな影、父さんが「開けろ~」というような大きな声怖々と言っている
うちの風呂は外から鍵がかけられるようになっている、おれは風呂から上がる時に、つい閉めてしまったみたいだ。小さな子供が水の溜まった危ない風呂場に間違って侵入しないように、外側に鍵がつけられていた、ごく普通の窓の鍵
すぐに急いで、おれは、その鍵を開けた、途端に父さんが、僕に乗りかかってきた、真剣に怒った顔と声、おれは恐怖に怯えた、悪さ、悪ふざけでやったんだと思われたからだと思う、その時の、力によって威圧を受けた思い出は、自分にとって初めてだったと思う
そして、すぐ遅れて母さんが来た、掴み罹られて押さえつけられる俺に母さんは、おれに聞いてくる、「なによ?どうしたの」、「わざとかい?わざとなんかやらないでしょ?どうなの?わざとやったの?」でも、僕はなんにも覚えていなかった、「閉めた」という記憶が無かった、だから「閉めてない」
「やった」とも「やってない」とも、なんとも言えなかった、謝る事よりも、どういう事でそうなったのかを、まず解ってからでなければ、謝る意味がない、という事も教わった
知らず知らずのうちにやってしまったんだろう、母さんは「わざとなんかやってないでしょ」と、おれは母さんの分析を聞きながら、そういえば何も考えずに鍵を閉めてしまったかもしれないのかなと思った
その頃、僕は鍵閉めを任命されていた、家族でどこかに出かける時は自分が家中の全ての鍵を端から、ちゃんと閉まっているかどうかを確かめる、全部、鍵を閉め終われば出発だ、全部で16ヶ所くらいの鍵がある、皆を待たせないように、急いで閉め回るから、一つの鍵を閉める瞬間には次の鍵に目が言っている、そんな体に染み付いた変な癖が、風呂場の鍵も無意識のうちに閉めちゃったんだと思う
父さんも、おれが悪さでやったんじゃないと解って、知って、その怒りを静めてくれた、原因というか、その理由を知って怒る必要がなくなったから
鍵をうっかり閉めるなんて事は普通は考えられないだろうから、父は自分が悪さでしたんだろうという予測を基に子供に対して怒るのは当然だ、もし悪さだったとしても、個々に許容範囲ってのの違いは、やっぱりあるから、怒られなければ解らない事もある
母さんは、その小学校に上がったばかりのおれが、普段やっている鍵当番の事のように、おれが癖で鍵を閉めてしまったんだろうと弁護をしてくれた
でも、もしかしたら・・・、閉じ込めようとする意志は無かったにせよ、その悪ふざけの真似事でふざけて閉めてみた鍵を、そのままにしてしまい、開けるのを忘れてしまったのかもしれない 次へ次へと目が行く子供、テレビは待ってくれない
ふと、そんなことを思い出した
@awaikumo