諸事情で昨年夏頃から現在に至るまでツイッターで散々非難していた著名ブロガーへ。
>最期になった時、自分が関わったすべての人に、誇りを持って恥ずかしくない人生だったと語れるか。
>今までの自分には正直そこまでの高い意識はありませんでした。
>現時点から将来を考えることも大切ですが、終着点にいる自分を想定し、その時にどうなりたいのかを考えてみる。
>そこでわかったことは、自分のやりたいことだけを勝手に実現する人間ではなく、大切にしたいと思っているすべての人から、
>自分がいたことで良かったと思ってもらいたいということです。そして、それを誇りにしたい。
この言葉が本当ならば、今まで私が非難していたことは水に流そうと思っている。
私にとって、自分がいたことで良かったと思ってもらいたいという状況というのは、
優れた偉業を成し遂げた人ではない。
友人の数が多い人でもない。
相手の長所と短所を含めた全てをきちんと認知してくれる人。受け入れるというほど重たいものじゃない。
時々相手が大嫌いになることもあるが、
その人がいれば、自分も頑張ろう、相手の為に自然に動こうと思える人。
私と相手が読んでいる本、私と相手がツイートしている内容、私と相手が着ている服。。。
時には互いに気に入らないこともあるだろうけど、
しなやかさを保ちながら前進できる空間を共有できること。
すれ違ったら、チューンを合わせ直すことができること。
思っているだけで、なかなか進歩していないけどね。
ただ、この手の著名人は舌先三寸で人格者的な言葉を綴るのが非常に長けている。
実際のビジネスの薄汚さと、ブログで綴る美しさには大きな乖離があり、世の中の消費者はそれらに騙されることが往々にしてある。
私はあなたの今日の言葉をとりあえず真正面から受け止め、陰ながら今後の活躍を祈りたい。
そして、私が言うところの「下流食いビジネスマン」として成り下がらないことを願う。
いつか再び昨年夏に受講した英語講座のような形で、接点があるかもしれない。
それまでに、私も次のチャンスをあたためていきたい。