なでしこジャパンのめざましい活躍から、まとめブログのコメントに度々この言葉が見られるようになった。
格好いい、とか、勇ましい、などの意味を含んだ賞賛コメントなのだろうけれど、そのことを聞いた姉は少し違和感を覚えたみたいだった。
曰く、兄貴じゃなくて姉貴じゃないの、と感じるのだという。澤選手は女性なのだから兄貴じゃおかしいでしょ、と。つまりはそういう事なのだそうだ。
言い分はわかる。尤もだし、確かに澤兄貴と称えることはおかしいのかもしれない。
けれど、個人的なことを言わせてもらうと、姉貴よりも兄貴という表現のほうがぴったりくる。
今回見られた澤選手の活躍は、澤姉貴ではなく、また澤の姉御でもなく、澤兄貴と言うのが一番相応しいように思ってしまうのである。
これはなにも澤選手にだけに留まらない。アメリカのワンバクについても兄貴というに相応しいし、テニスで言えばクルム伊達公子選手も兄貴たるに相応しいと思う。
兄貴という誉れは、性差を超えた漢の発露であり、より根源的な人間性の美しさを讃えているのだと思う。少なくとも僕はそう思って使っていた。
だけれども、そうであるためにややこしくなってしまった。ジェンダーの問題について思いを巡らしてしまったのだ。
姉から、姉貴じゃないのと言われたとき、僕は意図しない女性蔑視を指摘されたようで、バツが悪くなった。そんなつもりはなかったのだけれど、はっとさせられたのは事実だった。
姉と僕と、普段からどちらがより性別というものを意識しているかはわからない。ただその一瞬だけは、二人は別々の方向を、正反対の方角を向いていたのは確かだった。
賞賛であったはずの言葉が違和感を伴って受け止められたとき、そんなつもりはなかったのにかなり戸惑ってしまう。
姉もそれほど強く意識していたわけではないだろうけれど、そういう捉え方もあるのだなあと気付かされてしまった。
同時に、難しいなとも思う。その場は姉貴と訂正して濁すことができたけれど、濁すことができない場面も、そもそも違和感を与えたかどうか気がつけない場面もきっとあるからだ。
アンサイクロペディアにも記事があるけれど、これだって受け入れられない人がいると思う。
分かってもらわなくてもいいことなんだろうけど、分かってもらいたい。分かってもらいたいけど、分かってもらえにくい。
難しいなあ。
兄貴という誉れは、性差を超えた漢の発露であり、より根源的な人間性の美しさを讃えているのだと思う よくわからんが兄貴>姉貴ってことでしょ? manがhumanって感覚じゃないのか...