2011-07-07

死刑にしたい」

youtube動画をだらだら見ていたら、秋葉原事件に関する当時の報道映像に当たった。

そのコメントで「死刑にしてやりたい(3年前)」というのがあった。

この手の言動って(特にネットでは)ありふれたものなんだけど、わたしにはよくわからない。

どうしてみんなそんなに赤の他人のことで感情的に慣れるんだろう。

いや、共感をそもそもしないとかそういうことではない。

わたしだって他者に共感はする。

しかし、それは自分と境遇が似ている人間に対してだ。

例えば、秋葉事件の場合だと、被害者より加害者共感する。

あるいは、光市母子殺害事件被害者遺族の男性の立場を考えるとゾッとするが、共感はしない。

なぜなら、わたしには妻も彼女もいないし子どももいないからだ。

もうひとつ

たとえ共感しても「死刑にしたい」というような強い感情は生まれない。

想像することと経験することはそもそも違うからだ。

死刑存置派のひとがしばしば揶揄する、死刑反対派の検察だか弁護士だかの男性が身内が殺された途端に死刑存置派になった事例なんかはこの話(想像経験)だと思う。

わたしも自分大事なひと(そんなものいない)が被害に遭ったら「死刑にしてやりたい(というか、殺してやりたい)」と考えるだろうが、まだわたしの大事なひとは被害に遭っていない(そもそも存在しない)。

今被害に遭ってるひとたちはわたしの大事なひとたちではない。

から加害者死ねなどと思わない。

わたしはおかしいのだろうか。

  • 増田はごく普通で、そんなんで「死刑にしてやりたい」とか書き込む方がおかしいよ。 周囲見回してみろよ。赤の他人の事でいちいち感情的になってる奴なんて滅多に居ないだろ。

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