誰かが「世の中を良くしたい!」と思い立ったとして
知能や気力や時勢読みに優れてる若い人ならば
何かシステムを変革しちゃうほどの大きなことを出来る
近所のゴミ拾いは地味で、築き上げられていくような成果は無い。
人間はどうしても手応えや評価を求める生き物なので
何年もゴミ拾いに徹することが出来るような心栄えの持ち主は少ない。
というときに。
他人に影響や脅威を及ぼし
自分の爪痕が社会に認知されるような善行は何かなって考えた時に
人間とは
利潤的な対価を求めない場合でも
「あれはいけない言葉です」と、世の中に流通してる言葉を整理して仕分けしちゃえる。
その言葉を使ってる人に「無知ですね差別ですねいけませんね!」と迫って脅かせる。
言葉狩りはどんなに行き過ぎても
やってる本人も自分の胸に聞いて「やましいところなし」と自信を持ってる。だから厄介。
心の対価としてのオモシロ報酬、
それをやってる自分と言う存在は無意味ではないのだと言う保証、
それを懐に入れることについて「疚しさ」を検討する人が少ない。