この国のシステムが「個人差」なんつー超ミクロなもんを区別できるわけないじゃん。
せいぜい「卒業した大学名」とか「勤めてる会社の名前」とかそのくらいの大雑把さが限界。
あと別に「受け入れろ」とは言ってないぞ。「受け入れないのなら相応の代価を払え」ってだけ。
でも第三者を我々の間のささいな(本人たちにとってはいつも必死だけど)諍いに巻き込みたくない。
とは言うけれど、二人の間で解決するには元増田側がずいぶん追い詰められ過ぎてる気がするんだ。
自分の言い分を通してもらえていないのに自己嫌悪で死にそうって、どう見てもバランスがおかしくなってるよ。
実際第三者を入れられるかどうかはともかくとして、第三者を入れたいって言ったときに相手がどう反応するかが大事、みたいな気がする。
言う前からダメそうって思えるなら、別れた方がいいように思うんだけどな。
筆者は、一般向けの誰でも当選するんじゃないかと思われる15:30からのセッションだけに参加。
副社長 トークの9割を握る。頭髪と肌つやの黒さが気になってしまう。
開発 担当マネージャー いい人しゃべり。思わず「がんばれ~」と応援したくなる印象。
海外 担当マネージャー しゃべりを副社からバトンタッチされてたが、その効果が不明。よって印象薄。
社長 ビジョンを語る。語尾の「ですね」の速さと出現頻度の多さが気になる。
全体を通してトークのおもろさが少ないので、尻が痛くなった。
楽天 笑いなし
DeNA 冒頭のつかみで一番の笑いを取る
Xiaonei 中国SNS「Renren」 ビデオレター。トーンがアメリカ風。英語でなんか言ってた。
SKコミュニケーションズ 韓国SNS「Cyworld」 韓国語でなんか言ってた。
今後も各国No1のSNSと積極的に云々だそうだ。
Facebookの隙間を縫っていくのか、そうでないのか。
となると次はロシアあたりか。
描いている構想どおりスムーズに進めばハッピーだろうが、果たして。
駅から会場までの順路案内の位置は良い。
受付の姉ちゃんが無言。テンパってたのかも。
フリーでペットボトルの水が配られていたのが良かった。ノド乾いてたし。
「満席ですー」とアナウンスで煽るも、結構後ろの席は空いていた。煽るな。怖いから。
若いスーツが意外に多い。もてスリム+つんつん頭の典型的ヘラヘラIT率が多め。
開発系の比率が少ないか。ゲームよりもキモさは浅い。またアメリカン風ではない。
プレゼン演出はそこまで豪華ってわけでもなく、
筆者にとっては驚きと興奮の薄い会だった。
一般向けセッションだったから、しょうがないかな。
Aとは関わってないんだし奴が何を愚痴っても気にしなければいいじゃん。
しかもあいつら、二次元に萌えるのは許されるとか意味不明なことわめいてるからな。死ねよマジで。
勝手に仲間にされて迷惑してるわ。まあ俺はあいつらのことエセって呼んでるけど。こっちが静かにしてるのに向こうは「二次元なら世間に認められる」と勘違いして積極的に表の世界に出ようとするからな。
ああいう勘違い野郎のせいで一般人が知ることもない理解することなど到底出来ない世界の情報を晒されて勝手に奴らに憎悪される。迷惑すぎ
横だけどどんなもんでも喜ぶ人も居れば嫌な人も居るわけよ。
「女の子」は「若くて可愛い子」と「頼りない子供」どっちの意味にも受け取れる言葉で、受け取り方も人それぞれでしょう。
女は人類の半分も居るんだから、個人差で喜ぶ人も居れば嫌に感じる人も居るのは当たり前だ、喜ぶ人も居るんだから嫌な人も受け入れろは暴論かと思う。
実際今は社員に「女の子」は意識の低い人が使う古い言葉になりつつあるし。
せめて相手に合わせて使い分けられないかな。
家に行くたびにチャンスがあると
洗濯機に入っている下着を鼻に近づけて
においをくんくんしている。
はっきりちゃんと言うといい匂いはしない。
日によって違うけどたいていは
「臭い」とも違うんだけど「香ばしい」においがする。
ずっと嗅いでると頭がクラクラしちゃいそうな、ちょっとした刺激臭。
何にもにおいがしない日もあって、
そういう時は「最近どこか出かけた?」って聞くと
「いや、別に」って答える。
別にわたしはにおいフェチじゃない(と思う)。
別ににおいを嗅いで性的に興奮したりはしない。
けど、気になって嗅いでしまう。
安心?とも違うような・・・・・。
初めての交際かつ彼氏が好きすぎて、
頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
こんなわたしは変態ですか?
ここにAという男がいる。
虚言癖がある。人によって態度を大きく変える。人の金、モノを平気で盗む。義務は果たさず、権利だけ主張する。
絶対に関わり合いたくないタイプの人間だ。こういう人間と仲良くしてやる義務は当然こちらにはない。できれば一言だってAとしゃべりたくない。友人と楽しく談笑しているのをこんなやつに邪魔されたくない。入ってこないでほしい。やむを得ない事情で何か話があるとしても、必要最小限の会話で済ませたい。
自分は自分の心に従って、このAという男としゃべる機会を極力減らしている。誓って誰とも結託していない。自分自身の心にだけ従っている。だけど、自分以外のほとんどの人もやはりAを心底嫌っていて、同じように会話の機会を持たないようにしているようだ。
Aという男をよく知らない人から見れば、この状態は集団による無視と映るかもしれない。人によってはそれをいじめと表現するかもしれない。いや、事情を知らぬ第三者は実際そう表現するのだ。その言葉にAは力を得る。「俺はいわれのないいじめを受けている。俺は何も悪くないのにみんなに無視されている」と。
Aに暴力をふるうような乱暴者は集団にいない。Aに罵詈雑言を浴びせるような者もいない。Aの持ち物に陰湿な落書きをする者もいなければ、Aの陰口を言うものすらいないのだ。なぜって、Aと関わりたくないからだ。ただただいなくなってほしいと心の中で願っているだけだからだ。
時が経ち、環境が変わればAと顔を合わせることもなくなるだろう。それまでの我慢だと自分に言い聞かせている。だがひとつ我慢ならないこともある。この先、Aはきっと言うんだ。インターネットで。「俺はずっといじめられてきた。おまえらに俺の気持ちがわかるものか。世界なんて滅びてしまえばいい」と。そしてその、何の中身もなく、何の力もない、形だけの言葉が、本当に理不尽ないじめに遭ってきた人たちに引っかかり、共感を得る。そのことが我慢ならない。
「そんな仕事は女の子に頼めばいい」というセリフの「女の子」は「幾つになっても女性は女の子」とはニュアンスが違うと思うんだ…。
横だが、それを分けて別に扱って欲しいというのはあまりにも都合が良すぎるでしょ。
BL漫画好きの腐男子や、百合漫画好きのオタク女は、自分の事をホモやレズとは言わない。
読むのが好きなだけで実際の性癖は違う事が多いからだ。
何でロリショタ2次元好きだけど現実の子供には興奮しない人は、ロリコンショタコンと自称するんだろう。
まぎらわしくね?
小さなことに拘泥する人を見ると『何だかなあ…』って気持ちを抱く。
小さなことに必死になってる人を見ると『何だかなあ…』って気持ちになる。
この2つは似ているようでちょっとだけ違うよ。そんなのはどーでもいいけど。
僕が価値を置くのは、現時代的なことじゃない。そんなもんどうだっていい。むしろ一切気にしない。時代や人種を超越した『価値』に僕をこだわる。普遍的な価値尺度だ。もっとみんなにも気づいてほしい。
そうしたらもっと楽に生きられると思う。
自分が守ろうとしているものや、手に入れようとしているものの小ささを感じるだろう。狭い世界でごたごたしてても仕方ないよ。
ちっちゃいよ。カッコよくないよ。
それで自分が幸せを感じたり、優越感に浸れるならそれは大いに結構。
だけど僕は評価しない。というか、できない。だってカッコよくないもん。羨ましく思わないもん。何だかあほっぽい。
概して優秀な人がそうであるとき、僕は複雑な感情を抱く。もっとシンプルに素直に生きていこう。本質ってシンプル。
どこにどうストレスを感じれって言うんだ…?
僕みたいな人間を、たくさんの人が支えてくれている…これほど幸せなことはないだろう。
みんなシンプルなことには気づいてるんです。だけど実際に行動に移せない。頭ではわかってるんだけど、何だか馬鹿っぽいし、優等生みたいな感じもするので『抵抗』があって信じようとしない。
そういう枠を取っ払って素直に生きる人は本当に幸せになれるのです。自分を嫌にならないからです。
僕は素直に感じたり考えたりしたことは、たいてい何でも言う。普通の人はあんまりしないと思う。
好きなものは『好きだ☆』って言う。
みんなのことが大好きだから、『みんな大好きだよ☆』って言う。
みんなが困ってたら、上からでも下からでもなく、ただ僕の考えを伝える。
それがほんのちょっとでもヒントになったり、新しい切り口になったりするなら嬉しい。別に強制でも押し付けでもない。たかだが22歳の人間の考えだから気にすることもないだろう。
僕は自分に嘘つかないし、他人にも嘘つかない。だってめんどいし疲れるから。
僕は最大利益を得なくてもいいから、素直に生きる。嘘ついてまで得しようとか、自分を良く見せようとか一切思わない。
『立派な人間になりたい。』
だけど自分の力以上に見せるつもりは全くないです。
そんなのカッコよくないもん。
僕は僕、ありのままの●●●●で生きていきます。
守るものも失うものもない。ただ真っ直ぐに誠実に生きていく。
.....................................
エライ人(この場合は能力が高い人という意味)と会うと最近よく言われる。
『一年後、会いたいね。』
『一年後が楽しみだ。』
『いやぁ面白そうだ。』
非常に光栄であると同時にやる気になります。期待してくださっている方が多ければ多いほど、そして偉大な方であればあるほど、僕はやる気が出てきます。
プレッシャーってのはそんなにありません。僕は自分が楽しみです。どこまでやれるのか楽しくて仕方ありません。皆様から支えられここまでこれたのですから、自信をもって死ぬ気でやるだけです。
一生懸命勉強し、研究し、睡眠時間3時間で土日の休みもなく、ひと月に2回ほど半日休む。移動時間中の作業も含め、ひと月320時間は働きたいと考えている。320というのは基準だ。今思いついた基準であり、増えることはあっても、減ることはないだろう。別に厳密に記録しようとは思わない。そんなことは無意味だからだ。この320をべースとして、これからあとどのくらい上乗せできるのかどうか…。それが本当のチカラになるって考えてがんばっていきたい。寝てるか仕事してるかになると、375って数字も見えてくる。さすがに、10日に一度くらいは、6時間程度ゆったりしようと考えている。趣味の読書を。
これを一年間やる。もちろん、3日とか一週間旅行にいくこともあるとは思う。年に2~3回ほどは。観光というよりも世界観を広げることが好きだからだ。一年目はないと思うが…。
ってな感じで考えたことを、3~5年はやる予定。与えられたこと、場所で結果を出すことに専念する。だからこそルーティン主体の会社にはいきたくない。だからといって、何のチカラもないのにグダグダ言うのは僕の美徳に反する。
量をこなさないですぐ質を目指すから何も行動できなくなる。現状の正しい認識ができていないからそうなる。
22歳の時点で僕よりもすごい立派な人・尊敬できる人なんていくらでもいる。世界を見ればマジでたくさんいる。だから僕なんてちっぽけな存在。僕はそう思っている。
だけど
『立派な人間になり、僕にしかできないことで社会に価値を与えたい。』
【じゃあどうするのか…?】
って考えてる。僕は周りにいる人から刺激を受ける。
『どうやったら追いつけるのか?』
『どうやったらあの境地までたどり着けるのか…?』
『どうやったら、ああなれるのか?』
まあおんなじことの繰り返しなんだけど(笑)
いっつも反芻しながら思考している。僕の思考の大半と言ってもいいだろう。もちろん猿まねをするのは簡単だ。半盲目的になり、そっくりそのままキャリアややってることを模倣する。それはそれでおそらく至極困難なことであるとはいえ、ある程度目標設定、ゴールが見えているが故、やりやすい。ゴールの設定が一番難しいのだ。
別に僕はこれを否定しない。だって僕もそうやってきたからだ。全くのゼロからの啓発の際、模倣という行為が最善かつ最速のプロセスとなりうると思う。
しかし、
『成長は時に環境を追い越す』
ということを頭の片隅にでも入れておくことをお勧めします。これがあると、無駄な葛藤が多少は減るのかなあと思う。
臨機応変に変化に対応するチカラ。
頭のいい人は、プラス思考・ポジティブシンキングってよく言う。言い方をちょっと変えると、『切り替えのできる人』だと思う。逃げではなく、本当の意味でこれらのことをできる人間はそう多くない。自らの信念をもってこそできる行為である。
元増田です。
「そんな仕事は女の子に頼めばいい」というセリフの「女の子」は「幾つになっても女性は女の子」とはニュアンスが違うと思うんだ…。
そういう考えの持ち主だから仕方ないって聞き流しているけれど、たまに苛っとしてしまう。まだまだ修行が足りないね。
おめでとう!!
その決意に敬意を表し、思い切りそのフィールドで勝負されることに心からのエールを贈ります。
人は自ら設定した以上の人にはなれないと言います。
あなたのすばらしいところは、自分の達成意欲だけではなく、自分が達成することで自信のない人ももっと頑張れるようになれるはず、という部分です。
あなた自身の成功が最後、人につながっているところが、とかく孤高になりがちなあなたの仕事への取り組みを救ってくれるでしょう。
人のために頑張れる気持ちをどうぞこれからも大事にして、人生という山を登る登山家どうし、
どこかの山道でまた会いましょう!
If there is a will, there is a way.
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6月14日。
僕の就職活動がとうとう終わりました。
早朝4時、祇園から帰宅後すぐ内定辞退のメールを送った。社長に直接だ。
すると、3時間後の早朝7時。社長からの返信が届いていた。この時の感動は筆舌に尽くしがたい。
私は非常に良い環境に恵まれている。
『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。』
本当にその通りだと思う。この言葉の意味を実感として感じることが出来る。
しかし、最初が難しい。何事もそうだ。だから、僕がそのきっかけに関わることができれば、と考えている。
その為の力を身に付けるため、今は修行の毎日だ。
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自分の進もうとしている道が正しいか、間違っているかなんて誰にもわからない。
恐れていては為すことはできない。為すためには、恐れてはいけない。恐れが邪気を招く。確固とした信念を貫き通すこと。
これが何よりも困難な道である。
人の数だけ生き方がある。
正しい生き方なんてものは何一つ無く、その方向性は、自分の中にしか存在しない。
自分自身から目を背けるな。
深く、じっくりと問いかけろ。
『自分はどう在りたいのか?』『自分はどうなりたいのか?』『自分はどう生きたいのか?』
これらを考えることが、全ての始まりであり、詰まるところこれに尽きる。
この営みこそが、『生きる』ということなんだろう。
2006.6.14 ●●●●
=====これは、4年前22歳の時のblogです。=====================================
こういう本を出そうかと考えたが、ってかオレ社長ちゃうやんなー(笑)
まあでも結構気に入ったので、
↓
もうマジみんな来てください!
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文章っておもしろいよねー☆
人によっていろいろな解釈になるから
文章のみならず、ある事象に対してそれを受け取る人の捉え方もさまざま☆
この認識の差が全てと言ってもいいかもしれない。
現時点(22歳)での僕はそう思う。
めんどうだし、どーでもいいから敢えて否定しないことって多い。
人のことを気にしている時間がもったいないし、何より『カッコワルイ』。
...................................
ある単語を聞いた際、
自分が普段認識しているレヴェルで、その単語の意味を解釈し、受け取る。
それが枠の小ささの一つであると思う。
これは紛れも無い事実である。
養老さんもよー言うてますな。
こういうことを一つ一つ、分析し認識することで理知的な方面からも自らを深めることが出来るかもね
.....................................
何で僕がわざわざこんなことを書いたのか?
これも人によっていろんな推測ができるよね
横や周りをみながら生きてもいい。
だけどそれなら不平・不満は控えるべきだ。
僕の軸はシンプル。
『かっこいいか?』
もっと次元を具現化して考えると、
両親に今を語れるか?
亡くなった祖父や先祖に恥じないように生きれているか?
ってな感じ、過去・現在・未来といった切り口からも考えている。
これも単なる僕のオリジナルな一つの思考手段に過ぎない。こんなもんをそれぞれ独自に開発し、それを携え、自信をもって生きればいい。
そうすると、そこには単純な二極論は存在し得なくなる。
現実の原理・原則(盲目的に付与されたもの)からの脱却を図り、より高次の世界へと突き進むことが現状を打破する最も良いやり方。
以上の事をするにはどうすれば良いのか?
簡単だよー☆(^。^)☆
『考える』
これだけだ。
オレ的に言うと、
『無限の世界の広がりを感じ、それを有限である自分の知識・経験・発想などを駆使することにより、世界を認識し解釈しなおそうと努力する行為。』
これが最もシンプルかつ困難を極める行為であり、『考える』ということを日々意識し、悩みながらもその先を目指している人は少ないだろう。
その中で真っ向から立ち向かおうとしている人は賞賛に値するし、尊敬する。
考える対象や次元などは関係なく、僕はそういう人が大好きだ。一緒にがんばりたいし、成長したいし、僕ができることなら何でもやりたいと思う。
また、考えるという行為そのものに価値を置かない人は多いのが残念だ。
もちろん行動しなければ何も変わらない。
しかしそこは単純な二極論でどちらかを軽視し逃げるのではなく、全てはバランスであり両方共に重要なのである。
ある人にとっては『考える』ことを。
ある人にとっては、『行動』を。
そんなもんだにゃー
...................................
『考える』という行為についての僕の現時点での状況把握をしてみる。
僕はまだまだ完成どころか、全体像すらつかみきれていない。
きっとそんなことは生きてる間も絶対無理なんだろう。
できたという認識自体が僕的には傲慢なのだ。
死んだら僕の意識はなくなるしその点なんかを合理的に考えると、内に力を行使するより、どんどんアウトプットし、
何らかの生産性向上に努めるほうが賢明な判断といえるかもしれない。(とにかく働け的発想)
どれだけ奥行き深く、自己を他人を、そして世界を考えられるか。
この行為に意味があると僕は思う。
...................................
さてと、そろそろ仕事しようか(笑)
祇園に行く前になるべく片付けとく!
======ここまで====================================
すげーきもい。若いな。26歳の俺から見ても、かなり自分が好きで、虚栄心がある感じがにじみ出てる。
ま、よい記録だ。
遠くはないけど近くもない。
そんな日々を少し振り返ってみた。
...................................
~序章~『ワールドカップで思うこと。』
僕は予備校生だった。
大阪上本町にある河合塾大阪南校にて受験に向けてがんばっていた。
ほとんど試合は見なかった。
それから4年たったんだなあ。
4年前の僕は何ももっていなかった。
ただがむしゃらに勉強していた。
辛さはなかった。
楽しかった。予備校による、効率的な学習システムが心地よかった。
体系的なサイクルになっており、偏差値40ぐらいだった僕も、
各種、終盤の模試ではかなり上位にランクインし通用するという実感に浸っていた。
ひたすら机に向かう毎日。
朝7時~8時には起床。
9時過ぎには、自習室にいる僕の姿は定番 だった。
一番乗りのことも何回もあったし、大体座る位置も決まっていた。
電気がちょっと暗い場所。
入り口付近はうるさくなる。
あのへんは高校生が増える。
奥に行くと、出にくくなる…
ちょっとしたことだけど、5時間、8時間といると、こういうことは大事になってくる。
僕に昼休みは無かった。食事はしない。
この時期の僕の食事はというと、一日2食、朝と晩。大量の野菜スープと納豆などが中心。減量中でもあったからだ。
お風呂上りにはいつも立ちくらみをしていた。がんばって意識を保とうと思っても気づけば天井を見ているときがいつもいつも繰り返された。
こんな僕でも、
たまに友人の付き合いで昼食にいった。
『おお!今日は●●(僕の名)くるんや!』ってな感じだった☆
それまではみんなが食べてるときに僕は単語帳を手に持っていた。
夜は10時まで。
こんな毎日だった。
こうして、
4年前の春、僕はどこかほんの少し罪悪感と後ろめたさを抱え、自分の能力に不安を抱きながらスタートした。
自分の能力に対する不安ばかりで自信など全く無かったが、結果が伴うことにより、次第にこの状況は改善されていった。
しかし、予備校生というモラトリアム的身分であり、社会的に胸を晴れるというわけではない現実。
僕はただひたすらプリントに目をやっていた。
第二章へ