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2023-08-30

anond:20230830184523

AFURI vs 吉川醸造 これくらいは経緯を押さえておこう (3/3)

更に、AFURI社が2022年7月15日に出願、2022年11月30日登録されているのが「阿夫利」で、区分はやはり32と33

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-2022-082763/AF32B8422F94B16D72269FF9CC72CAB619EC1CA936982FA774B681155B76ADF9/40/ja

続いて2022年8月22日AFURI社によって、吉川醸造2021年6月30日に取得した「雨降」に無効審判請求されている。

(再掲だけど、経過情報照会で経緯が閲覧できるので見てみよう)

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-2021-009325/D76232492C96035EF878C24CEAD31862F0ECC378439051C053D991F9B7ADCB1C/40/ja

そして、吉川醸造が「雨降AFURI」を2023年4月に出願したものの、5月23日に拒絶された後、7月26日吉川醸造から意見書が提出され、現在審査中という状況。

こちらも経過情報照会で経緯が閲覧できる)

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-2023-032269/591839C72997AE4D84EC2ADD961E77C925A6AD2595D1BA4E8C8F953AB65C13E7/40/ja

商標を巡る経緯を見ると、吉川醸造2021年4月に新ブランド「雨降(AFURI)」を発表して以後、両者とも防衛的に動いた結果、衝突したように感じるけど、少なくともAFURI社の「雨降」無効請求に関しては、攻撃的との評価妥当だと思う。

(それを是とするなら、AFURI社が区分33を含む「AFURI/阿夫利」を出願した2022年5月6日時点で、ずっと前から「阿夫利大山」を販売していた遠州屋酒店に同じことをされてもおかしくない)

個人的には、遠州屋酒店が取得した「阿夫利大山」にも「アブリオーヤマ,アブリダイセン」との呼称が付けられていることから、「あふり」でも「あぶり」でもそう違いはないように思えるし、神仏分離大山阿夫利神社と分かれる以前の、大山寺の山号も「雨降山」(あぶりさん)なので、「雨降ABURI」とする辺りが穏当な決着になると思う(AFURI側もなぜ「ABURI」ではなく「UKOU」などと本気だとしたらアホすぎる提案をしたのか……)けど、どうなるか。

2021-11-10

[]赤山禅院

京都北東部比叡山の近くにあり延暦寺の一部。お寺だが赤山大名神という神様を祀っており神仏分離されていない。赤山大明神泰山府君と同一視されており陰陽道神様を祀っていることになる。泰山府君寿命管理していると考えられており長寿祈祷などが行われる。御所から見て北東、すなわち鬼門の方角にあり鬼門を守っていると考えられている。そのため拝殿屋根には鬼門避けの猿の像がある。猿は敵が来たら雷で神様に知らせる見張りである。まわりの鎮守の森が非常に良い。

anond:20211108081047

2021-04-07

欧米中東では宗教社会規範と一体になっている。

日本も昔は宗教社会規範と一体になっていた。

日本の特徴は、仏教神道を混ぜ合わせて一つの宗教にしていた点にある(神仏習合)。

しか明治に入ると、日本仏教神道を分離し(神仏分離)、結果として仏教破壊した(廃仏毀釈)。

そして国家神道を一体化させた末に(国家神道)、敗戦によってその国家破壊されたため、

日本から宗教が消え失せ、社会規範けが残った。

いま日本人が神社に参拝し、寺で葬式を挙げ、墓の前で祈るのは、

それらが「社会規範」だからやっていることで、

そこからは「宗教」がぽっかりと抜け落ちている。

しか欧米中東はいまだ「社会規範」と「宗教」は不可分なのだから

日本人が社会規範に従っているのを見て彼らは「あれは宗教ではないか」と考えるのである

2007-02-19

ご利益って信じる?

「神」って言われてなにを重い浮かべる?

近所の神社?その境内にある神木

たぶん違うよね。

日本で神っていうと、神話アマテラススサノオゼウスとかサタンとかか、もしくはイエス・キリストアッラーのような、人の形をしたものを指していて、「存在しますか?」って聞かれると、作り話だからね、証拠はないからね、っていう考えになるんじゃなかろうか。

でも、たとえば、「この岩に触るとご利益があるんです」なんていわれると、触る人は多いし、お守りを買う人は多いし、初詣をして、賽銭をなげ、幸せを祈るよね。

その時、だれに祈るのだろう。だれのご利益なのだろう。別に、岩や木を神とは思ってないのに。

そんな時、はっきりしたなにかがあるとかじゃなく、はっきりしない、空気とか雰囲気とか気持ちとか、そういうものの延長としての、「なにか」が、その場や物に「宿っている」って思う。そこにはリアルな人物ではなく、仮想化された人物、つまり擬人化があると思うんだよね。それを指して神様という。

あと、「宗教

フス派が敗北して弾圧されて、カトリック一色になって

その調査結果ってどうなの?

日本も同じようなことがあったね。キリシタン弾圧とか檀家制度とか神仏分離とか。

そういう宗教が力によって強制された時、儀式や建前として受け入れても、そこに神はいないと思うんだよね。

そういう歴史現在宗教に引き継がれていると神ってのが薄くなるのかな?って思ったけどどうかな。

あと、あのグラフにない中国がどうなってるのか気になる。

仏教とか儒教の国はどうなんだろう。日本もそうだけど、ご先祖って神じゃないんだよね(いや、そういう考え方があるのは知ってますが)。

それがかなり大きな影響を与えると思うんだよね。

 
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