はてなキーワード: 崖の上のポニョとは
ほかの事を書くと薄まってしまいそうなので、とりあえずひとつのシーンについてだけ書く。
ソースケとポニョが、水没した世界をちょうど子供二人が乗れるくらいのサイズのローソク船で移動するシーンだ。
移動中、ローソク船のローソクがなくなってしまう。これでは船が動かない。
しかし心配無用、ソースケは小さいローソクを持っていて、
ローソクがなくなったらそれをポニョに大きくしてもらって使おうと考えていた(ポニョは魔法で物を大きく出来る)。
しかし、ポニョは眠そうにして、ローソクを大きくしてはくれない。これでは船が動かせない。
この後のソースケの行動に泣いた。
幸いなことに、船を押して進むとすぐに、足がつくような浅瀬にたどりついた。
俺がソースケだったら、多分押せない。
なんだかんだと理由をつけて、その場にとどまってしまっただろう。
少しがんばれば浅瀬に着いたというのに!!
なんてソースケは立派な男なんだ…
誰かをDIOる時は、細心の注意が必要だ。生半可にそんなねむっちまいそうなのろい動きでやると、かえって自分がDIOられることになる。人の、誰かをDIOることに対する眼差しは厳しい。少しでもおろそかなことをすると、とたんに。人を吸血したつもりが、かえって自分の血が輸血されることになる。これでは本末転倒だ。
だから、そういうDIOりブーメランを受けないために、慎重に計算したうえでナイフを突き立てるようにする必要がある。最低限のマナーを守って、節度あるDIO的記事を書く必要がある。作法というものを守って、読む人の反感を――DIOりを買わないようにする必要がある。
そこでここでは、そんな「人をDIOる時にやってはいけない作法」を分析し、11の項目にまとめてみた。
参考にしたのはこちらの記事。
この記事は、「崖の上のポニョ」及び宮崎駿監督をDIOっているのだけれど、ブックマークコメントを読んで頂ければ分かるのだが、カースの不興を買って、かえってこの筆者そのものが「妙なエントリ書いた。なんかaurelianoに書かれた。死にたい。」と思っても死ねないのでそのうち考えるのをやめる結果となった。DIOりブーメランを見事に食らった、典型的なエントリーとなった。
そこで、この記事を分析することによって、そこから「人をDIOる時にやってはいけない作法」を学び取っていきたいと思う。それを参考することによって、今後もしDIOり記事を書く際には、そうしたDIOりブーメランを食らわないように注意していきたい。
人をDIOる時にやってはいけない11の作法
……ごめん、おいちゃんここで力尽きた。
俺できなかった。元エントリ見てビビビときてがんばって書いてみたけれど、結局何もできなかった。駄目男だ。ヘタレだ。
っていうかそんなに俺DIO知らない。俺、DIO様になれなかった。首から下がジョースターじゃなかった。せめてスカイフィッシュぐらい使いたかった。
しかし、この世にはDIO様にあこがれたあげく石仮面を喜んで装着し、時を止め、恐竜化できるほどの人間が存在するという。
少なくとも、我々の時代にも、クロスロードで悪魔と取引し、時間を止め、永遠の若々しさとヘブ……いや、才能を獲得した人間が存在する。
そんな君たちに、僕はここから先のエントリを託そうと思う。ごめんな。
でもな、そんな君たちにこそ、DIO様は微笑んでくれると思うんだ。
DIO様は、やはりそのカリスマ性で、花京院はおろか、アヴドゥルをすら篭絡する。そして、誰をも受け入れてくれるだけのゆたかさをそなえた、懐が深いお方なんだ。
お受験がどうとか、もう言ってるのがばからしくなるぐらいの懐の深さ。ゲイテッド・コミュニティなんてめじゃない教育を施してもくれるし。
おや……? よかったね、モニターの前の君。
そう、君。これを読んでる君だよ。どうやら、君は選ばれたらしい。おめでとう。
なかなかないよ、こんなの。
ほら、聞こえるだろう? どこかからか聞こえる足音が。ほとんど何も聞こえない。息を殺した足音が。
とん、とん、とん。階段を上がってくる。そして、あるところでとまる。ほら、時間だよ。
あんな素晴らしい方をお待たせしちゃいけない。さぁ、立ってドアを開けるんだ。そのさび付いたドアを。
新しい世界は、もうすぐそこまで来てる。それを出迎えるんだ。ああ、ああ。頭がいたい。あれ? 僕の頭になにか突起が……
孤児作品のエントリーで、池田信夫氏はCulture first blogはその団体のブログではないにもかかわらず、訂正もせず誤認の謝罪もしない。
また、国内の著作物のみを登録制にして国外の著作物よりも保護を薄くするという、国益を損なうだけの自説を開陳した。ミッキーマウスは無登録で保護するのに崖の上のポニョは登録の手間をかけなければ保護しないとは、国内のコンテンツをどれだけ軽視しているのか。
国内の著作物を登録制にしたところで、海外で30日より前に発表発行してから国内で発表発行することにより、国外の著作物の扱いになって無方式で著作権が発生する。つまり登録制は簡単に回避できるのだ。それぐらいすぐ予測できるだろうに。
国内著作物の登録制は、単に優良なコンテンツが国内発のものが無くなり、海外発になるだけだ。また、国内著作物が登録制であると、市井の名も無き著作者は、登録する手間をかけないので著作権が発生せず、パクられ放題になるだろう。結局、国内登録制は、国内コンテンツの海外流出と矮小化とを招く。
ベルヌ条約を100%守っている国がないという彼のコメントは間違いだ。池田信夫氏がいう根拠は、ベルヌ条約第七条第一項に規定された、保護期間が死後50年であることが守られていないことにある。しかし、同条第六項には「同盟国は、前記の保護期間よりも長い保護期間を許与する権能を有する。」とある。つまり、ベルヌ条約では、著作物の保護期間は最低でも死後50年ということであり、死後50年を超える保護期間を許容しているのだ。
また、ベルヌ条約には規定がない送信可能化権があることも彼の根拠となっているが、ベルヌ条約では、ベルヌ条約が許与する権利よりも広い権利を著作者に与える特別の取極を行うことができる(第二十条)。この特別な取極の一つとしてWIPO著作権条約がある。日本も加入しているWIPO著作権条約の第八条には「公衆への伝達権」を著作者が享有することが規定されている。送信可能化権は、このWIPO著作権条約を受けたものだ。
ポニョを見てきた。最終上映だったのですいていた。
昼間は混んでて暑くてかなわんし、自分の判断は正しかった。
個人的には必見の映画だと思う。まだ少し興奮しているので、少しレビューを書いてみる(ほとんどネタバレなし)
たまに出てくる異常で非凡なイマジネーションとしか言えない絵(シーン)は、絵コンテが浮かんでくる様だ。
誰もが気づくであろうことを(主人公の男の子を含む)皆が気づかなかったりすることに対して微妙に感じる
違和感と設定の説明不足さ加減が、(見ている最中には理不尽性を受け入れてしまう様な)夢を見ている
ときの焦燥感を思い出させる。
あと、主人公の男の子なんかの子供的動きのリアリティの宮崎節は安心感がある。昔っからの手法というか、
昔も今も子供の動きは変わっていないのだろう多分、みたいな。ポニョのかわいらしさとユーモア性も十分以上。
ただ、ちと鼻についたのは、主人公一家が互いの名前を呼び捨てにする「サヨク的先進性」的なオシャレ性と
洋式食事のオシャレ性がどこまで通じているのかという点(今だとかえってダサイのでは?)。老人的
欲望/願望が込められている部分については確かに宮崎駿も老いたものなあと思う。
にしても、宮崎駿のパワーとイマジネーションは凄い(とても老人に思えない)。異様としか言いようがない。
説得力のあるファンタジーを超えようとする意識、というより、リアリティとファンタジーがごっちゃになっていて、
人間が作り出すものの限界を超えようとする意識というか、恐るべし宮崎駿というか。はっきり言って、
分析しながら見てると、ものすごく疲れる。なかなか構造が理解できないから。展開の早さも異常だし。
ただ、何も考えないで見ても割合「つるん」と清涼感を感じながら受け入れられると思う。
(客席には異様な体験をした空気が流れていたが)
個人的には、千と千尋やハウルはそれほど好きになれなかった。ストーリーの方程式を無視した理不尽性が
失敗作としか考えられなかったし、エナジーの切れた黒沢映画の様に構想力の退行化をアドリブでごまかして
いる感じがしたから。でも、今作は作家性とパワーと(例えば、年を取ると宗教に頼りだす様な)老人的妄想力
の固まりで、アドリブ感と疾走感と予定調和的なものを願う願望力を十分に味わえた。
とベタ褒めしてみたが、人によっては違う様に感じるかも知れない。長文スマソ。