はてなキーワード: 予定調和とは
ぼくはもちろん毎年この時期は予定入ってないのだが、
なにをして過ごしているかというと
主に「このマンガがすごい!」を批判している。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
まぁ、最近は興味を失ってきていたんだけど、
今年の「このマンガがすごい!」をたまたまコンビニで見たら、
ちょっと本気で我慢ならない惨状になってきたので書いてみる。
でもさ、これを一番に持ち上げちゃっていいのかな?
そんなのってもう、ある程度面白さが保証された予定調和でしかないじゃないか。
この漫画を推す背景って、
「手塚治虫を褒めることでセンスいいと思われたい」
っていう下心しか見えてこないよ。
こういうやつらって
「ホメればセンスいいと思われる記号」を
収集して消費していくだけだからね。
だから、ぼくは見た目がオシャレなやつを警戒するんだよ。
自分の見栄えをよくするためだけに利用するやつなんじゃないか?
ってセンサーがびんびんと反応してくる。
こういう手合いに騙されちゃいけない。
これも上位に入ってくるだろうね。
『デトロイト・メタル・シティ』も、
『聖☆おにいさん』も、
『テルマエ・ロマエ』も、
ぜんぶこの賞で潰されたようなものだ。
どの作品も2、3巻で終わらせてあげれば傑作になったのに。
(本当は1巻で終わるべきだけど、そこは譲ってやる)
センスいいと思われたいだけのマンガ読みたちが、
過剰に持ち上げるからグズグズと引き伸ばされて
完成度はみるみる落ちて行って
一応聞いてみるけど、
当時『デトロイト・メタル・シティ』を褒めていたやつで、
いま大切な人、たとえば好きな人にさ、
全巻プレゼントするぐらいの、それぐらいのこと、するの?
本当にその漫画が好きならできるはずだけど。
今さら『デトロイト・メタル・シティ』なんて恥ずかしい、
なんて思っちゃうんだろ、どうせ?
こういう奴らがたくさんいるから
アートは痩せ細っていっちゃうんだよ。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、
センスだけはよく見られたいっていう厚かましい欲求。
恥をしれよ、ずうずうしいっての。
まぁ、毎年こういうこと書いているけど、
マンガ読みたちにはどうせ届かないんだろうな。
届いたとしても鼻で笑って
こんなこと書いたって何にも変わらないんだろうな。
でも、やるんだよ。
私は女だけど、信頼関係を構築できた相手とのポルノメディア的セックスは楽しめたりするよ。
この人は私が本当に嫌がることはしないという信頼関係が重要なんじゃないかな。
そのためには『セックスが終わった後に、お互いに自由に感想を交わせるような習慣』が必要だし、
『清濁併せ呑んで二人だけのセックスを試行錯誤して作り上げて』いくことが必要だと思う。
そのうえでのポルノメディア的セックスはどうしても"ごっこ遊び"のようにはなってしまうけど
(結局相手の喜ぶことや嫌がることを知った上で、知らない奴に初めて犯されたかのように
「悔しい、でも感じちゃう」ってやってるだけの予定調和だからね)
逆にそういうごっこ遊び的な、プレイとしてのポルノメディア的セックスっていうのが、
男性を満足させられるのかっていうのが気になるところ。
いわゆる東京大阪比較は主題ではない。「なんでやねん」の意義を主張したい。
会話の中で許される応答が否定と肯定の2つしかなかったらと考えると恐ろしい。
私にはとてもじゃないが耐えられない。
きわどい話には、どっかの小鷹さんみたく「え、なんだって?」とスルーするしかなくなるだろう。
阿呆のふりをして、逃げることばかり考えるだろう。
相手の機嫌を損ねたくないばかりに、ヘラヘラと追従するだけになるだろう。
否定の拳をふりあげては、振り下ろす場所とタイミングに悩んで頭痛持ちになるだろう。
冒頭の宣言を覆すようでなんだが、やはり東京に出てきて少し戸惑ったことは事実だ。
お互いに肯定ばっかり。だよねー。ですよねー。
あほらしい話がどんどん膨らんでいって、変なノリが形成される。
一度出来上がったノリが、誰も崩せないところまでいって、みんなで赤信号わたるみたいな
「誰も望んでない結末」みたいなのを何度か経験させられた。
相手の会話の途中に異議を挟むと、すぐ喧嘩になってしまうというのもあった。
「なんでやねん」さえあれば、と思うことが度々あった。と言うか結局すぐ使うようになった。
こうして俺の大学デビューは結局関西人キャラということになってしまった。
ツッコミを期待してのボケとかそういうのは中級者以上の話なのでかんがえなくていい。
もっと初歩的な話だ。「なんでやねん」はそもそもなんのためにあるのか、だ。
「でもポジティブフィードバックは返しませんよ」の2つを兼ねる。
話が脱線したりずれそうになったときに、制止をかける役割を果たす。
その上で、この「なんでやねん」は否定や反論ではないてんが重要である。
さらに相づちを打つ側の自己完結的な行動として扱われる。
つまり、話し手はこの「なんでやねん」にいちいち応答する必要がない。
否定されたわけでもないから、ただちょっと相手の反応が芳しくないというのを察して、
話のテンポを落としたり、少しコースをかえたりという微調整をすればいい。
「なんでやねん」は会話の受けてにとって無くてはならないものだと思う。
「なんでやねん」があることによって、相手に相槌を返しやすくなる。
相槌というのはそもそも話し手の会話のテンポをコントロールするためのものだ。
「うんうん」「なるほど」「それでそれで」など加速する方向はみなさんもよく使っているだろう。
ただし、減速が必要になる時もあるのだ。
会話の中に、この装置が組み込まれていないと、なにかと困る。
こちらについても「ちょい待ちや」とか「おいおい」とか「そんな阿呆な」とか色々あるけれど
やはり「なんでやねん」が一番便利だ。深く考えずに使っても、あんまりカドが立たない。
漫才とかのせいで、アクション付きの攻撃的な言葉と勘違いされているが、
実際は会話のカドを丸め、とんがりにキャップを被せるような使い方をするものなのだ。
というような話を今日の飲み会で熱く語ってドン引きされました。
話がヒートアップする前に、誰かが「なんでやねん」と言ってくれさえすればこんな事には・・・。
余談。
会話が苦手な人は、なぜ自分がそれを苦手としているか、という時に
「心にないアクションをとるのが嫌だ」とか
「相手の意見が理解できなかったり、違和感を感じる時にどう反応すればいいかわからない」
そういう時には、何も考えずに「なんでやねん」という言葉を使うといろいろ捗るぞ。
(もちろん、ポジティブフィードバックのみの会話に親しんでいる方々など、
少しの制止にも不快感を示す方々もいるけれど、そういう人達とは付き合わなければいい。
肯定のみの世界で生きるなんて私には息苦しくて耐えられない)
あとね、これはいわないほうがいいと思うんだけどこの際だから言っちゃおう。
他人の話に軽くでも異議を唱えるってものすごい快感なんだわ。最も手っ取り早い自己表現だしね。
逆に、ずっとYesの返答を続けるのってストレスなんだわ。コントロールされてる感じするでしょ。
だから「なんでやねん」ってのが会話に混じってると聞き手の健康を守る効果があると思うのね。
さらにいうと、「なんでやねん」という反応があるお陰で、話し手側も安心ってのがある。
滑り覚悟でボケてもいいし、ちょっとキツめや喧嘩腰の物言いを「試してみる」ことが出来る。
僕は手を抜いてしまっていた。
終わりに向かってゆるやかに死にむかうように
ゆったりと終焉を迎えようとしていた。
まわりは何を思うだろうか。
薄ら笑いを浮かべてひとりありがとうございましたなんて
うそぶくのだろうか。
お世話になりましたとひとりひとりに薄ら笑いでろくなあいさつにもならず
全力で駆け抜けてだめでも全力でかけぬけて
死に向かっていたとしても全力で駆け抜けようとしたはずだ。
僕はもう終わるだろう。
ただし最後は走りきるのか絞りきるのか全力疾走で体を投げ出して
終わるのかはっきり決めたい。
いや、はっきりと思い出した自分のやり方を今はっきりと自覚して
明日から本気出すキリッじゃなくてどっちにしろ明日から終わりに向かうわけだから
僕は働きを見せつけてもっともっとチームにコミットして人を動かして
汗かいて冷や汗かいて怒られて怒鳴られながらもやりきって生ききって
明確な終わりに向かって死ぬ気で死んでやりきって終わろう。
ダウンタウンというコンビについて、「天才・松本を補佐する凡才・浜田」という間違った認識の人間がとても多い。ゆとり以下のガキどもに至っては、浜田に対して、クソつまらん芸人だという認識しか持っていないと思われる。
たしかに近年、クソ番組でMCをただこなしているときの浜田は、いくつか落とすパターンこそ持ってはいるが、さんまや、中堅のくりぃむ上田等に比べると、明らかにパターンの数が少ない上に、相手の話を膨らませる能力にも乏しくはっきりいって面白くない。
浜田がその実力を遺憾なく発揮し芸人として、テレビタレントとして革命的な存在だったのは、売れ始めてから成り上がるまでの時期だ。
テレビ画面に現れた、まだ若さの残る浜田は、競演した大御所や先輩タレントに対して、問答無用でツッコんでは、時にどついてみせた。
たったこれだけである。
だが、これがとんでもなく衝撃的だったのだ。
それに先んじて、とんねるずが お笑いとアイドル・ミュージシャンとの関係性を変化させていた。当時、芸人は歌手より地位の低い物と見なされており、「公の場」でアイドルをバカにしたり、ミュージシャンに無礼な振る舞いをする芸人は、ほぼ存在しなかった。たけし(軍団)ですら、公の場ではその関係性を守っていたのだ。
だが、とんねるずは体育会系のルールそのままに、年上に対してはそれなりの礼節を持って振る舞ったが、年下のアイドルやミュージシャンに対して、平気でタメ口をきいたり、時にバカにしたりして笑いに変えた。そうして芸能界の暗黙の掟を一変させたのである。
浜田の革新性は、こういった土台があったからこそという側面はある。それでも、芸能界において先輩後輩の序列は絶対であり、そこを侵す者は現れなかったのだ。浜田を除いて。
そのことに気づいてから、俺はテレビで浜田を追いかけるようになった。相手が誰であろうとも、己の信念と姿勢を曲げることなく容赦のないツッコミを浴びせる浜田は間違いなく『パンク』な存在であった。そして、上下関係抜きの辛辣なツッコミを浴びせても、浜田は決して場の空気を乱すことがなかった。それ故に、つっこまれた人間は、浜田に怒りの感情を示すことがなかった。松本の天才性の陰に隠れてはいたが、この事実は、浜田もまた紛れもなく天才であったと言うことの証左である。
だが、いつの頃からだろうか。おそらく、ダウンタウンが多くの冠番組を持ち始めてからのことだが、主に若い世代から、浜田に叩かれることを喜ぶような連中が現れた。こうなると、もはや猪木のビンタと変わらない。ツッコミの鋭さそのものは変わらずとも、その意味合いは、全く別のものになっていった。
わたしはそれを否定する。松本が天才であったのは間違いないが、浜田という斬り込み隊長の存在がなければ、もっとマニアックな存在としてしか、世に出ることはなかったと思われる。若かりし頃の浜田には、とんねるずと同じように、予定調和をぶち壊し、新しい地平を切り開く革命家としてのパワーが宿っていたのだ。それは、ともすれば狂気的とも言えるものであった。
浜田が切り開いた新しい地平の上で、松本がその才能を遺憾なく発揮した結果として、日本のテレビお笑い史上最高のコンビになった、というのが俺のダウンタウンに対する短評である。
今のテレビお笑い界、特に若い世代に、登場するたび「今日は何をやらかすんだろう?」と、わくわくさせてくれる存在がいるだろうか? 浜田もとんねるずも年をとった。丸くなってしまった。たとえ懐古厨と言われようとも、俺をテレビに夢中にさせた、かつてのダウンタウンととんねるずほどの存在は、テレビに誰一人見あたらない。強いて言うなら大泉洋であったり、ブラックマヨネーズであったりといったところだが、大泉は役者であるし、ブラマヨは真の実力(フリートークスキル)を発揮できる場を与えられないまま年を重ねている。
寂しいことだ。
君には「思考停止」「逆張り」って言葉の意味わかってるのかから聞きたい。
「逆」があるならまず先に「表」があるのが道理だから
そのブコメ欄の「表」を見てみようか。
yteppei まみぺこさんが写真の中でマミられてる…!!! 2011/04/084 RT
4 RT
k_wizard -
一輪社先生かっけー 2011/04/08
泊まって×××したいお。 2011/04/0818 clicks
人気ブコメ順にこれだぜ。
ちなみに文中に出てくる「まみぺこさん」は紹介者、「一輪社先生」はその同行者、
どれもこれも紹介されてる作品の感想ですらないのは見事だろう。
ちなみに☆振ってるのは紹介者の「まみぺこさん」本人。
彼女も作品に対する是非のコメントより、自分への挨拶みたいなコメントやネタコメに☆振ってるわけだ。
(別にそのことに批判的な気持ちは全くないよ俺は。)
でもって「まみぺこさん」をガイドしてホテルを案内してる「一輪社先生」は
カオスラウンジの知り合い・お仲間で
要するに内輪のお付き合い宣伝記事にお付き合いブックマークです本当にありがとうございました。
わかる?
そのお付き合い記事とお付き合いブックマーク群には
「表」にあたるようなまともな作品批評や感想がそもそも無いし、思考もなんにもない。
意見も思考もなんにもないのにどうやってここで「逆張り」出来るのか説明して欲しい。
そのとろんとした世間とお付き合いだけの泥沼の中にあって
お付き合いの予定調和から外れて自分のコメント書いてるのがmaro_masaだけだったということ。
君が「いや、maro_masaもたいしたこと言ってない、maro_masa含めて全員ゴミだ!」って言うなら
それはそれで、筋は通ってるんだろう。
俺は〇〇年代アートみたいな薀蓄は全く興味が無いから詳しい人はずっと詳しいのかもしれない。
そういう話であれば俺は全く文句が無い。
で、もっと醜悪臭いのは君。
oh…
彼女は「教祖」ではなく「狭い世間のネットアイドル」って匂いが漂っていると思う。
いや別に彼女に恨みは無いからいきなりこんなこと書くのは心苦しいけども。
よくわからん言いがかりに返答するために書いてるだけなので許して欲しい。
あのブログ記事にもブクマ群にもカオスラウンジ信者など居ないと思う。
お付き合いで「わーすごーい」って言ってるのありありの投げやりさが漂っていて味わい深い。
「知らないんだけど」なんて言って客観的に論じた気になってる分なおさら醜悪。
???
俺が知らないって言ったのはそのブログ書いてる「はなぺこさん」だよ。
「今をときめく」という紹介のしかたから知ってなきゃまずい人らしいけど俺は知らんから知らんと書いた。
君が何をどんな読解してるのかもはや見当もつかない。
アーティストの常識もサラリーマンの常識もフリーランスの常識も全部違っていいと思うが。
フリーランスは常にお客様に先に貸しを作って置かないといつ切られるかわからないから
こういう行為を見て自分の不安神経症が刺激されるのは構わんけどそれを他人におしつけんなよ。
小さいねとしか。偏屈なアーティスト精神もいいけどエンターテイメント業界の人間なら其れ位のサービス精神は御約束事のフォーマットとして身に付けておけばいいんじゃないかな。芸として。未だ若いんで一生遣って行く気もそんな無いんでしょうけど?或は範疇の狭いプロ意識とか??何も別にそんな金払ってでも聞きたいって程の本気の迫真の演技を要求している訳でもなく予定調和の礼儀として形式的に言ってるだけだろうし。出来ないもんは出来ないでいい訳だし。
ずいぶんナチュラルに「業界のお約束」がビルトインされとるなぁ。んでそれを押し付けるってのが当たり前だ、と。馬鹿か。
兄が天然リア充だと、主人公はその性格からして「兄と俺は別人種。分かり合えないし仲良くもできない。あり得ないとも羨ましくも思わない遠い存在。」と捉えるだろう。
そしたら、主人公は「俺は最初から一人ぼっちだから今更一人になっても寂しくなんてない」という結論に達するから、最後に黒髪ちゃんに会いたいと思わなくなる。(兄がいない場合も同様。)
かといって、主人公がリア充兄と寄り添える程度に柔軟性がある性格設定だと、処女厨というのが不自然になるかな。兄についていって彼女くらいはできるんじゃないか?
兄のキャラ設定云々じゃなくて、全ての登場人物が「主人公は処女厨だったけど結局ビッチな黒髪ちゃんに惹かれちゃう」というオチに持っていく為に用意されているというのがはっきり見えちゃうからリアリティがなく感じるのかな。
大卒の50%以上が内定をもらい、形式上有能と無能の二分は為されている。
では、この無能50%はバイトなり既卒就職(できるわけもないが)なり起業なり(できる金とアイディアと経営ノウハウがあるとは思えないが)なり公務員(なれるだけの頭があれば今年だろうと無い内定にはならんだろうが)なりする道を選ばざるをえないわけだが、彼らがいなくてもぶっちゃけ移民の方が労働力としては期待ができるし、市場価値も彼らのほうが高いわけで、こいつらっていなくてもいいんじゃね、というのが率直なところ。
というのも、人口自然減な日本において、今ある企業もどっちにせよ使えない奴から死んでいく。労基法の遵守をさせるだけで、50%程度の企業が死に、50%程度の人間が職を失うだろう。言ってみれば、新宿のうるさい呼び子(特にマツキヨとABCマート)がいなくなるということだ。ありがたいありがたい。
企業がなくなると、働けない人が出るとか、不便になるとかいう精神に訴えるような似非ロジックを展開してくる人が多いけど、ぶっちゃけそんなことのどれだけが重要なのか。
使えない奴は使えない。職種、業界が合わないとかいう次元ではなく。
僕は、真剣に身分社会制度の復活を考える。慣習的に学閥や生誕時の扶養者資産というカタチである程度実現しているものの、もっと明確な物が欲しい。完全世襲化とかどうだろう。親がマツキヨの子供はマツキヨ。薬屋に客を呼び込むために産まれた残念な子。
人間は遅かれ早かれ死ぬ。死期は、よほど強い衝動がない限り選べない。つまり、就職できない程度で自殺するにしても、その後の生活で苦しくて自殺しても、その程度の人生だったってことで、特に悲しむ必要もないと思う。そんな奴が、これからの日本で生き残れるとは思えない。予定調和というやつだ。
結局のところ、誰かの人生、あるいは国の今後を杞憂して雇用を改善しろだの抜かすバカより、自分の為に生きて自分の利権を断固として譲らない人間のほうを俺は支持するということだ。使えない奴を切り落とすのは自分ら共同体を守る上での当然の行動で、どこのコミュニティにも属せない弱者は死んで当然だし、可視化されなかっただけでこれまでにも腐るほどいたはずだ。不満があるなら革命すればいい。そのときはそれ以上の力で潰す。そういうこと。
恋愛、日常の買い物、ありとあらゆる場面で我々は選別し、篩いにかけ、上質なものだけを残す。
雇用だけ劣等なものを大事に扱えなどという主張自体が、間違っているのだ。
15 名無しさん@十一周年 投稿日:2010/08/13(金) 15:25:59 ID:oapikQ+Y0
怒ることしかできないのがいる
「男に負けたくない、舐められたくない」と勝ち負けの思考で仕事してる
42 名無しさん@十一周年 投稿日:2010/08/13(金) 15:48:12 ID:SamohsUkP
俺の女上司はプライド高くて、男に負けまいと必死なあまり周りが見えてない。
もうやだ。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110102/1293978579
仕事と家事育児に追われながらの、低収入の若い男との下流生活に比べたら、天国だ。
男なんかいらないのだ。使い途がなくなったら、いらない。
僕は「腐」「同人」と言う言葉が見えたら即座にはフォローを返しません。全員が全員そうじゃないのはわかっています。ごめんなさい。
予定調和のような慣れ合い、そして仲間内で誰かが誰かの地雷を踏むといきなり空に向けてヒステリックに叫ぶような長文抗議する方をよく見ました。内容的に過去の僕の発言を曲解して激怒しているらしい?と気がついても、触りにくい。それで翌日には可愛らしい顔文字いっぱいで挨拶してくれたりするのです。
愚痴や抗議や反論をしてはいけないという事ではないんですよ。場所や言葉を考えて、少し落ち着いてほしいだけです。誰もあなたを攻撃していません。ヒステリックな時のつぶやきは視野が狭く断定的で、それが頻繁だと僕にとっては不快です。
僕が我慢する必要はないと感じたので、中でもひどい数名をリムーブとブロックで対処しましたが反応は早かった。直後のTLに流れる他の人の発言は「私は相互フォローしている仲間を愛している。絶対にリムーブする事はない。」と言った感じでした。納得です。SNSのような感覚で使っているんですね。軽い気持ちでフォローする僕とは対照的です。
僕自身も対応に馴れていませんでしたし、当たりが悪かっただけかもしれません。自分にとっては今まで全く接点のないタイプの人々だったので、カルチャーショックでした。
ラジオが成り立たなくなってきたらしい。まぁ、予定調和であり、誰もが「いつ来るかは解らないがその内来る未来」として考えていたことが、ついに現実になっただけ、と言ったらそれまでのことです。さて会社が続けられなくなる理由は単純で、「出ていくお金」が「入ってくるお金」より多い状態が続き、その限度が一定の程度を超えたときがその会社が終わるときです。
ラジオ局等のメディアについては、「スポンサーにもらえるお金」より「番組を続けるために要るお金」が多い状態が続いてしまって、赤字になる、というパターンですね。
スポンサーはどうやってその量を決めるかといったら、どれだけ自分が「目立てるか」の度合いに比例した量お金をくれる、と考えていいでしょう。
すると目立たないメディアは当然もらえるお金の量が少なくなる訳です。
そんなこんなで、ネットで目立つことをする人たちが沢山増えてくるにつれて、ラジオなんかは相対的に目立たなくなっていった訳ですね。
「相対的に目立たなくなった」これが敗因な訳です。これ、果たしてどうしようもない事なんでしょうか。
まずは通信する情報量の違いです。現代においては、ネットの方が断然情報量は多いといえるでしょう。
しかもネットは「下り」の通信だけでなく「上り」もできます。
どうみてもネットの方が便利なツールですねぇ。
あるにはありましたラジオの利点。受信する人が増えても大丈夫だ、という事です。
ネットは人が集まってしまうと鯖が大変です。でもラジオならどれだけ人が増えても、電波が飛んでいる限りは受信できます。
この唯一の利点を活かした商売をすればもしかしたら「目立つ」事が出来たのかもしれませんね。おれはなんにもおもいつかないけど。
とは言っても、「俺の講義は黙って聞け」っていうスタンスなら問題ない。
問題は、表向き「議論しなさい、質問しなさい、それが講義に参加するという事です」って言うスタンスの人。
未熟者の集団にいきなり「やってみろ」と言うのは、指導者に相当のスキルが無ければ成り立たないスタイルだ。
ところが、じゃあ日本の教諭にそういうスキルが高いレベルであるかというと、そうとも言えない。
ちょっと生徒たちが熱を入れ始めると、とたんに制御しきれなくなって
結局、生徒に対して「時間内で完結する予定調和を演じなさい」とか「ちょっと活気のあるオーディエンスになりなさい」
ということを要求せざるをえなくなる。
しかもキッパリそう言うのではなく、「空気読めよ」的なスキームに頼った形になる。
表題のような事は20年前から言われている。
それが未だに問題で有り続ける理由は、上記のような事だと思うようになった。
Re:http://anond.hatelabo.jp/20100902013402
何となくたどり着いた先はジャスコだった。クリスマスの近いジャスコは家族連れでごった返しているが、カップルは比較的少ないように思う。カップルはもっと雑誌に載っているようなこぎれいな場所に出かけてしまうに違いない、と僕は思う。高校生のカップルが目に余るほどいちゃいちゃして通り過ぎていくのは特に気にならない。若さは取り返せないから、あちらの世界は違う世界だと認識できるのだ。同年代のつつましいカップルが一番心をかき乱す。なぜ僕ではないんだろう。なぜ、僕にはないんだろう。そういう考えが頭に浮かぶのはあまり幸せなことではない。
ぶらぶらと歩きながら適当に服を見繕う。別にどこに行く当てもないけれど、良さそうな服があったら買っておくのだ。特に趣味のない僕にとってそれはささやかな散財だった。たまには甘いものとお酒でも買おうか、ということを僕は頭の片隅で考える。
クリスマスソングが流れる店内も、店内のきらきらとした飾り付けも、売り子が張り上げる声もすべて予定調和で心地よくすらある。エスカレーターのそばには大きなツリーが飾られていて、子供がその下を走り回っている。僕は肩からずり落ちてきたマフラーを外しながらぼんやりと巨大なツリーを見上げる。
けえきいかがですかぁという間延びした声に僕はなぜかびくりとして振り返った。売り子の女の子がプラカードのようなものを持って呼び込みをしている。この時期にしかみられないサンタクロースのコスプレをした、きれいな黒い髪の毛の女の子。高校生か大学生か、多分バイトなんだろうと僕は思いながら女の子を視線から外す。別に珍しくも何ともない光景だし、あんまりじろじろ見るのもなんだか変な気がしたのだ。
「けえき」
僕が横を通り過ぎるその瞬間に彼女はすぅ、と息をすってそういった。舌足らずな甲高い、売り子特有の耳障りな声の合間に人間らしい呼吸音が聞こえたことに僕は少し驚いた。思わず振り返ってしまって、彼女と目が合う。
言葉を言いかけたところで目が合ってしまった彼女は、その先の言葉を忘れてしまったみたいに目をしばたたかせた。そして、ちょっと照れくさそうにいかがですか、と小さな声で言う。
思わず振り返ってしまった僕も照れくさくなってちょっと笑う。
あまりの決まりが悪さに僕は、ください、と小声で言った。女の子はぱぁっと誰がどう見ても作り物ではない笑顔になってありがとうございます!と元気よくいう。僕は頭の中でちらりと一人で過ごすのにケーキを買ってるなんて寂しいやつだな、と思われたらどうしようと考える。
ご家族用ですか?と彼女はいった。僕は首を振ってこっちのを二つ、とショートケーキを指して嘘をつく。長年一緒に暮らしている彼女か、もしくは結婚してしばらくたってるけどまだ子供のいない夫婦のふりをして、彼女は忙しくているからささやかなお祝いでもするんだという顔をして、僕は嘘をつく。堂々としていればそういうものは相手に伝わらないんだ、と僕は思い込むことにしている。女の子は透き通った黒い目で僕を見て、にっこりと笑った。
この子は、と僕は頭の片隅で下世話なことを考える。彼氏とかいないんだろうか。カップルであるている同年代をどう思いながらケーキを売っているんだろうか。案外気にしていないのか、気にしないようにつとめているのか。それとも単にサンタのコスプレがしたかっただけなんだろうか。思い出の一つとして。
女の子は何も言わずにフォークを二つつけてケーキをひどく大事そうに箱の中にいれた。少しでも雑に扱うと爆発でもしてしまうのではないかと危ぶむほど丁寧な動作だった。なんてことはない、明日になったらたたき売られるだけのケーキだというのに、その動作は不自然にすら思える。僕はもう一度彼女をみる。
ただ僕が消費するだけのケーキをなんでこの子はこんなに丁寧に、大事そうに扱うんだろう。テレビを見ながら感慨もなく食べるだけなのに。
お持ち帰り時間はどれくらいですかぁと相変わらずの舌足らずな口調で彼女はマニュアル通り言った。僕は何となく30分くらいです、と答えた。30分もかからずに家には着くけれど、これだけごった返していると駐車場から出るので一苦労だろう。子供たちに配るためのプレゼントをたくさん載せた車が、さながらどこかの国から出発するサンタ便のように、たくさんたくさん行列をなして出口へと向かう。その中で、僕は待つ人のいない家へ食べる人のいないケーキを運搬する一人のトナカイなのだ。プレゼントを贈る相手がいないから、サンタクロースもいらない。トナカイのえさがありさえすればいい。でもたまにはトナカイだってケーキが食べたくなったり、その贈り物を自分のものにしたくなることだってある。僕はそういう不届きなトナカイでかまわない。そんなことを考えて僕は誰にもわからないように唇を緩める。
女の子はケーキと同じように釣り銭を丁寧に数えて、その硬貨が実は純金やダイヤなのではないかと錯覚するほどそうっと僕の掌の上にお釣りをのせた。そしてぴょこりと頭を下げてありがとうございましたぁ!とやたら元気のいい声で言う。その動きがあまりにも厳かだったものだから、僕は神聖な儀式に立ち会ってしまったようなある種の居心地の悪さを感じてもぞもぞとする。腕の中のケーキも何かとても特別なもののように思えてくる。僕は何事も起きないように大事に腕の中に抱えこんで、どうもと口の中で言った。箱はたった二つの小さなケーキしか入っていないはずなのにいやに重く感じられた。役目のないトナカイになぜかとても重大なミッションが課せられたような、そんな気がしたのだ。
ひっきりなしに開閉する自動扉のむこうにはちらちらと白い雪が降り始めていた。ぼんやりと口をあけて僕は空を仰いでいたけれど、忍び込んできた冷気に思わず身を縮める。白い息が鼻からゆらゆらと立ち昇っていく。ジャスコの中のざわめきは自動扉がしまると遠くなり、再びあくとまた耳に飛び込んできて、なぜかひどくさびしい気持ちになるから僕は片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手で大事にケーキを抱えて、歩き出そうとした。また自動扉が開いて、そしてあの女の子の声が聞こえる。振り返った僕の目に、あの女の子は映らなかった。かわりにたくさんのトナカイが子供を追いかけたり、疲れた顔をしてベンチに座り込んでいたり、なぜかピリピリとした顔をして怒っているのが見えた。僕は少し笑った。クリスマスのジャスコにはトナカイがたくさんいる。そして、贈り物を待つ子供のために疲れたり悩んだり怒ったりしている。時間も体力もないトナカイのためにジャスコは今日も開いている。
雪はもう静かに積もり始めている。
※この話はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは一切関係ありません。
※くそあついのに冬の話かよという苦情は受け付けておりません。