2024-04-08

「執着」と「慈悲」をどちらも「愛」と呼ぶから世界が歪む

厄介ファンは何故生まれるのか、俺がインターネット越しに20年ぐらい考え続けた途中経過がコレだ。

  1. 「愛」という言葉に多くの意味を持たせすぎていること。
  2. 「愛」という言葉で括られた概念を全肯定するような風潮があること。

この2つが絡み合ったことにより、「単なる個人的な執着を満たして自分気持ちよくなりたい」と「他者を慈しみ相手幸福を願う」の境界が分からなくなったモンスター誕生するのだ。

端的に言えば、「言語レベルでの勘違いに端を発する認知の歪み」である

これは「歪んだ認知を生みやす言葉の使い方をする環境で育った」×「言語以外の部分で十二分な認知能力が育たなかった」×「周囲環境の悪さを乗り越えられるほどの言語的な認知能力が育たなかった」×「認知の歪みを正す機会を得なかった」の掛け合わせによって成立する。

回避するチャンスが無数にあるため多くの人間はいつの間にかこんな罠は乗り越えてしまう。

そのため、これらの条件を満たしてしまってレアケースに対しての対処方法が分からないのである

実は対処自体簡単だ。

幼稚園レベルの情操教育からやり直せばいい。

足し算引き算が出来ないのに数学問題を解こうとしてもいつまでも身につきなんてしない。

まずは基礎から積み直すべきだ。

ここで問題になるのが本人のプライド認知だ。

幼稚園レベルから心の教育をやり直せ」と言われて、素直に受け入れるなんて簡単なことじゃない。

大抵は単なる罵倒として受け取るだろう。

まり、俺にはまだ解決方法が思いつかない。

途中研究と言ったのはそういうことだ。

じゃあの。

  • 色恋商売するなで終わり

  • 慈しみ 無償の愛 見返りを求める愛 執着 依存 独占欲 支配欲 色々あるけど全部愛って呼ばれがちだしね 下の方の愛で繋がってるカップルとかは排他的になりやすく周りに対しても迷惑...

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