「怒られた」という感情的な要素が無いと「自分が指摘されたので学習しないといけない」という行動にならないらしく、
指摘する側がパワハラ扱いを恐れたり、組織全体がどういう状況であっても常ににこやかに接することを是とすることで
できない人は否定や指摘をされなくなった。
その結果、「できてないけど指摘もされない無能な集団」になってしまっている団体をいくつか見た。
たいして大きくない会社ですらそうなのでJTCならなおのことそういうとこもあるんだろう。
こうなってくると「できない人に説明してもわからないし時間の無駄だからできない人に合わせてあげる」ことしかできなくなるので
その馬鹿らしさに付き合いきれなくなった人はどんどん抜けていく。
「魅力的な条件でスカウトされたので」「やりたいことができたので」のような建前で抜けるので、会社に残ったメンバーには深刻さが全く伝わることは無いし改善されることもない。
これが趣味の話なら「駄サイクルだね」で済むのだが、会社でこれはかなり気持ち悪い上に成果も出ないので目も当てられない。
暴言や暴力を肯定するわけでは一切無いし許すつもりもないけど、
能力の低い人に仕事上できていないことの指摘がなされないのは、
「それでもいいからとにかくストレスを受けたくない」という感覚も理解できるし共感できるが、
業績が落ちて給料が減ればいずれ転職せざるを得なくなるのは自分だし、
長期的にはどんどん自分の首を締めてるような気がするんだけど世の中本当にこの”優しい社会”な方向に向かってて大丈夫なんだろうか?