これは性的自己決定権云々のような表面的な話ではなくて、もっと根源的な、われわれの言語的文化的諸活動に織り込まれた女の立場、つねに対象化され比喩として画題として語られる側にあった「女」の概念を、女性自らの手に取り戻そうとする、そういうムーブメントがフェミニズムなのだ。
多くの時代・地域で文化のメインストリームを規定していたのは男性的なものだったわけで、だから、われわれが使う言葉、世界を分節化し構造化する仕組みそのものの中に、女を対象というかあちら側にあるものとして扱う目線が埋め込まれている。
多くのフェミニストが心の底で感じ取っている「敵」はこいつだ。
かつてのジェンダー論は女性の性の開放を謳ったが、近年ではそれが一転して性表現を弾圧している、みたいな意見を見たけれど、上記のような視点から考えれば、別に何も変わってないんだ。
「女」を彼岸の存在として見る向きと闘っている、という意味では。
ただし、当の女性たちが、(もちろん男性も)この側面を十分認識していないように見える。
難しそうに書いている割に、何ですっごい大雑把なテーマで車輪の再発明やろうとすんの なんでずっとぐるぐるぐるぐる自分達ですら理解できない取り扱いできてない言葉でスタート地...