2021-12-22

33年前に首をつった

おまえいくつだよと聞かれがちだが、おまたに毛も生えない頃の話だ。

 

両親は今でいうところの毒親で、しかも外面はいときていた。

年に数回のバカンスのために日々過度な倹約に励み、持ち物どころか家具や家に至るまで、

もらいものお下がり廃棄物に囲まれていた私が学校いじめられないわけはなく。

ターゲットにされる原因を回避しようにも、経済力もない小学生にはどうしようもなく、

また、母親のよくわからないこだわりに巻き込まれた結果、家も学校地獄のもの

 

母は外では私のことを賢い子と自慢げに語ったが、家では一事が万事マウント取りに明け暮れ、

やれお前の見ているテレビ番組がつまらないとか、読んでいる本がくだらないとか、

(数少ない)友達馬鹿ばかりだとか、何をしてもちゃんとできないとか、

毎日そんな呪文をくらい続けていた。

一方、どう見ても発達障害の弟はというと、お約束通り母の寵愛を一心に受け、

それはもうわがまま三昧で何も否定されずに育った。

 

父はというと、そこそこ発言権もある親父だったのだが、これがまた夜郎自大ボンボン

女性女性らしいところが苦手ときていて、私が成長にしたがって女性らしいものを好むことをひどく嫌い、

しか家庭内で強く出られる相手が私だけということで、時には優しかったり、時には理不尽に怒鳴りつけたりと、

これまたテンプレ通りのDV親父であった。

 

私はというとIQ120くらいの子どもであり、それ故に小学●年生にして絶望してしまった。

(なお自慢のIQPMS暴落する)

親戚も話は聞いてくれるが、私が怒りを表現できないせいか

「でもあんたの両親だって優しいところがあるでしょ」で話が通じない。

そりゃそうだ、低学年がそんな話をしてもな。信憑性がないよな。

から死んでしまおうと思った。首を吊ったが、残念ながら足が付いてしまった。

 

そしてずっと鬱だった。PMSで鬱は加速した。いつでも死ねからいつでも死にたかった。

積み重なったものが溢れ、家を出て、それから5年くらい経っても鬱だった。

結婚していまでは安定しているものの、とんでもないことが起きるたびに鬱は顔を覗かせる。

そのたびに「いつでも首は吊れる。昔の私はできたんだから」と開き直れる。

どこか自殺することに対してのハードルが下がっている。

から例えば癌になるとか、回避できるか怪しい死が迫ったら、

きっとあっさり生を手放してしまうんだろうと思っている。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん