2021-10-24

ずっと真夜中だと社会がそれに最適化するからダメ

真夜中を愛することとは孤独を愛することである

2時~3時くらいの町散歩すると本当に誰もいなくて、猛烈な孤独感と、それと同じくらいの万能感に包まれる。

自分がどこをどのように歩こうが、どこで曲がろうが、それを観測する人間がいない。

現在の行動が世界に対して何の影響も変動も与えることがない。

因果律から完全に切り離されたような感覚幽霊のように一方的世界観測している全能感。

時間感覚希薄になる。昼間はどうしても太陽世界支配している。日が昇ると正午。日が傾くと夕方。それに合わせて世界も動く。

夜でも月や星が回っているがそれが意識干渉してくることがない。朝になって空が明らむまで世界は何ら姿を変えない。

時間から空間からも切り離されて、自分内面にのみひたすら潜っていける状態。真夜中。

件のアーティストがどういう意図でこの名前をつけたのかは知らないけど、「ずっと真夜中だったらいい」という感覚自分の中にもある。しかし。

本当に世界がずっと真夜中になると、社会は真夜中でも動くようになる。

真夜中の本質は暗いかどうかにあるのではない。暗かろうと人は稼いで食べていかなければならないから、人々は昼夜関係なく街を歩き始める。いつでも仕事をする。

それではいけない。自由だったはずの夜の時間さえもが昼間の理屈浸食されてしまう。それが一番良くないことだ。

昼間にしっかり働かなければならないから、夜は休む。だから町は暗く静かになる。それでこそ真夜中の全能感が達成される。

本当にずっと真夜中になった社会は、今のネット空間のようなものだ。昔のインターネットが好きだった。世界因果律から捨てられていたようなあの空間が。

昼間の理屈を昼間に押し込めているからこそ、真夜中はそういう空間でいられる。正しくない真夜中があるために正しい昼間があれ。

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