まず、女性である作者が男性に向けて何か言いたい(描きたい)ことがあるなら、作者にとって都合の良い、操り人形のような男性の登場人物に言わせるんじゃなくて、作者と同性である女性の登場人物に言わせるべきじゃないのかと思う。しかも『逃げ恥』のヒラマサさんとは異なり、イケメンに描かれているところもルッキズム全開でモヤモヤする。
端的に言えば『スカッとジャパン』っぽいのである。「女性の意見を代弁してくれた。しかもイケメンが」という点が読者に受けているのだろう。しかし、その男性登場人物は女性によって理想化された空想の産物に過ぎないし、読んで気持ち良くなる読者の大部分も女性というところが(女性向け漫画雑誌に連載されている作品ということを差し引いても)閉じた空間での盛り上がりという感じがする。何年か前、お爺ちゃんみたいな口調の女子高生の主人公がDQNに説教するという漫画が一部で受けて話題になっていたが、アレを読んだ時に感じたのと同種の気持ち悪さを感じる。
作者の田村由美が「男性は偏見を持っていて、女性の意見に耳を傾けてくれない」と考えているから、男性登場人物に女性の気持ちを代弁させているのだろう。しかし、そもそも偏見を持っていて女性の意見に碌に耳を貸さないぐらい馬鹿な男性ならば、端から『ミステリと言う勿れ』を読まないだろうし、読んだとしても整の言うことに耳を貸さないだろう。仮に男性の読者が整の語る場面を見て「コイツ(整)は自分と同じ性別(男性)だから、言うことに耳を傾けよう」と考えたとしても、それを見て女性として嬉しいのだろうか?却って「女性の言うことには耳を傾けないくせに、同じ男性である整の言う事なら簡単に聞くんだな」とモヤモヤしないのだろうか?
世の中に存在する様々な理不尽、男女の非対称性に苦しめられている女性たちが読んで、溜飲を下げるというか、一時の救いというか、心の慰めになる機能を持つ作品であるという擁護はあるだろう。しかし、である。真実性が疑わしい実験の話とともに「これだから女は」という内容の漫画を男性漫画家が描いたら、これは恐らく只では済まないだろう。例の実験の話を描く時、ネームを上げてきた作者と打ち合わせをした編集者は、何も問題は無いと心の底から思ったのだろうか?編集者は「話の真偽を確かめましょう」と作者にアドバイスしなかったのだろうか?作者が「どうせ男なんて、この程度のもの(だから確かめるまでもない)」と決めつけていたのではないか?大御所作家と編集者という、権力勾配関係があったために、正当な批判やブレーキが機能しなかったのではないか?もしも、作者本人は理不尽な世の中に物申しているつもりでいても、編集者ら作者の周囲が何も言えなくなって口を噤んでいるような、とてもグロテスクな関係になっていたとしたら?そんなことを考えて、とてもモヤモヤするのである。
単純に女性向けポルノって考えれば良い 海外の反応とかで「日本凄い!」が日本人に受けるのと同じだよ
やってることゴー宣そのまんまで、昔はああいうのはてなーなんか割とみんな批判してたと思うんだけど 女が自分の都合でやるなら途端にバンザイしちゃうとそういうわけだ まあずいぶ...