2020-07-07

阪神が弱すぎる

僕は3年ほど前、仕事精神的に参ってしま無職になった。そのまま1年をかけて僅かな貯金を食いつぶし、しかし再び働くことができず困窮していた。

足繁く球場に通うほど野球観戦が好きだったが、その頃には最早テレビを通して見ることすらままならないほど精神的・金銭的に追い詰められていた。

早い段階で実家を頼れば良かったのだろうが、ほとんど家出のような形で実家を出たためどんな顔をして頼ればいいかからず、とうとう僕は自殺視野に入れた。いつ死のうか、どこで死のうか。そう考える毎日だったが、ある日突然父からメールが来た。

元気か?会えるなら会おう

僕はここが人生ターニングポイントだと確信した。ここで父を頼らなければ僕は本当にこのまま人生を終えてしまう。僕は死にたくもあったが、やり直せるならやり直したくもあった。

そこで僕は腹を括って現状を赤裸々に伝え、あの日、今まで育ててもらった感謝言葉もなく飛び出して行った僕の非礼を詫びて、頭を下げて、頼らせてほしいと伝えた。

その日、父は僕を実家に連れ帰った。

久々の実家は気まずかったが、父は僕が実家にいた時と同じように野球中継を流しながら晩酌をする。僕は居心地悪くそそばに座って、母の出す料理を食べていた。

父は何も聞かなかった。僕がずっと何をしていたのかも、どうしてそうなったのかも。ただひたすら大好きな焼酎を飲み、テレビ視線を送っていた。

僕は父に合わせて野球中継を見る気になれず、そそくさと食事を終えて席を立とうとする。するとそこで、テレビから大きな歓声が流れた。

その日、阪神タイガース東京ドーム巨人戦を行なっていた。巨人の先発は菅野で、そんな試合はいつも負けるはずだった。なのにその日は、阪神菅野をこれでもかというくらいに打ち崩したのだ。

それまで無言だった父は立ち上がろうとした僕を呼び止め、こういった。

阪神菅野を打ち崩せたんだ、お前も出来る。俺が応援するよ」

しかし僕は何か言葉を発したらそのまま泣いてしまう気がして、無言で席を立った。

僕はその1ヶ月後、小さな町工場で働くことが決まった。ゼロからスタートでしんどかったが、家に帰ると父はいつも通り野球中継を見ながら晩酌をしていて、それが僕の心の支えとなっていた。

早く今の職場に慣れて、父の好きな焼酎とそれに合うグラスを贈って、あの日のお礼を言おう。それから出来たら、一緒に甲子園試合を見よう。

僕はそれを目標に、むちゃくちゃに働いた。

そんな矢先だった。

コロナ流行最中、父は肺炎のような症状が出た。すぐに病院検査をしてもらい、その結果が肺癌だった。末期だった。

母は父のいないタイミングで僕にそう告げ、あと数ヶ月だって、と言いながら涙を流した。

ビデオの早回しのように父は一気に老け込み、僕は会うのが恐ろしくなってしまった。

野球中継を見ながらの晩酌はなくなり、父は時折散歩に出る以外はベッドで寝て過ごしている。

僕は毎日仕事帰りに実家に寄って夕飯を食べ、父の顔を見て家に帰っている。しかし確実に弱りつつある父をいざ目の前にすると、なんの言葉もかけられなかった。

阪神あの日のように強くいてくれれば、あの日の父のように僕は父に声をかけることが出来るのかもしれない。励ますことができるのかもしれない。

僕はありがとうが言えないまま生きていて、深夜に風呂の中でその日の試合結果をチェックして、湯船に顔を沈めて泣いている。

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