2018-12-18

にゃんぱすー

言葉暴力、大多数の暴力問題解決できると思っている人が一定数いる。

例えば、煽り運転で最も悲惨事故を起こした加害者を、コンビニ冷凍庫に入る姿を投稿した若者を、

氷河期世代を作り出した政府を、マイナンバー運用に失敗した行政非難することで、

たかもその問題自体解決されると考えてしまうのだ。恐ろしいのは、いつの間にかそれが個人から集団になって

「こう非難することが求められている。非難すれば問題解決される」と集団による攻撃が始まることだ。

いわゆる「ネット私刑」。言葉暴力(大多数の暴力)をする者は、実際にこれが悪いことだとは思っていない。

なぜなら、問題非難する声が大きくなれば、問題へのメスが入り、問題が減っているように見えるからだ。

先述した例では、実際に問題が二度と起こらないように警察コンビニオーナー、行政対策チームが問題解決に向けて動き、

それを業務として取り組むからこそ解決するものだ。しかし、非難するだけの人間にとっては、

非難すれば問題解決する、問題が減っていく」「しかも、非難するだけなら労力は0」というメリットしか感じていない。

結果として、大多数で非難すれば問題が二度と起こらないようになると思う者がネットで溢れかえる結果となってしまった。

例では挙げなかったが、いじめ問題とか最たる例だろう。この問題解決させるためには、インターネットの扱い方を若い世代

伝えていく必要があるが、今の大人にもまともに扱えないインターネットを、次の世代につなげることができるのか、甚だ疑問だ。

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