とある若手俳優が大好きで神様のように崇拝してきました。性格からなにから全てを。1年と半年くらいそれが私の精神の支柱、正しく生きるためのすべてだった。
そうして生きてきて急に、なぜかは分からないけれど心を壊した。大好きな俳優のことも、舞台や映画を観ることも全く楽しく感じられなくなり、そんな自分が情けなくなりエンターテインメントに触れると悲しくなって希死念慮が湧く。そんなどん底の状態を過ごして精神科にかかり、今は少しだけ回復しているところです。
完全回復とはいえないけれど少し落ち着いたいま、ぼんやりと辿り着きました。推しを崇拝するのをやめる。
精神科で言われたこと、自分の人生について、周りの人々について、俳優界隈で起きた事件についてのこと、いまの芸能界の情勢のこと もろもろ考えてわたしはもう推しを崇拝するのやめる。やめます。
決して私の中での推しの価値が下がったわけではないし彼の仕事に対する熱意も考え方もパフォーマンスも性格もすべて尊敬してる、尊敬してもしてもし足りなくて崇拝する、神様のように崇めるという結果になってしまってたわけなんですけど私はそれをあえてやめます 心を断ち切る
なぜかというと私が彼を神様みたいに崇拝することが逆に彼にとって失礼なんじゃないかと思い始めたから。彼は神様じゃない 神様じゃないのに弱い人間である私が精神のよすがにするためにブログを読んで、パンフレットを読んで、演技を見て、ご神託のようにありがたがって泣くなんて彼にとったらどれほどの重荷だろうと(決して彼はわたしの心の内を知ることはありませんが、精神世界においての話なのです)ぼんやりと絶望してしまったからなのです
推し俳優を神様のように尊敬して人生の指標にするという生き方はとても有意義で現代的で素敵なことだと思うけど、それは精神の正しい人に許されることであって、私みたいな何かに依存しないと生きていけない、心が非常に打たれ弱い人間にとっては命取りになりかねないなぁとも思いました。推しに失礼だからとかなんとかぬかしたけど結局は自分の精神と人生のゆくえを危惧して保身のためです。みみっちい考えだけど
なんか担降りする人の文章みたいなっちゃったけどこれからも変わらず推しが大〜好き!!!舞台は変わらず観にいくつもりでいます ただ今までと違うのは、彼の文章を隅々まで読んで聖書の進言のように心に留めておこうとしたり演技とか彼の美しさについて過剰反応したり(これはすごく難しいことだと思うけど、本当に輝いているから)彼のお仕事の成功が自分の人生の至上の喜びだというまでに感じることをやめること 感受性をちょっと鈍くして好きでいたいなぁと思う 私は彼の演技やパフォーマンスが大好きでちょっととぼけたようなところがあるけどストイックな性格がすごくいいなぁと思ってるいちファンであるだけ。そういうライトな気持ちで舞台に行けたらなぁと思うと心が軽くなっています。