多分こんな感じ。
◯記憶量が多い。
子供の頃は自分が頭がいいだなんて思っていなくて、どうして周りはそんなに忘れてしまうのかが不思議だった。
一つのシーンに限っても、覚えているものの量が全然違うことが分かった。
最近はスマホが何でも記憶していてくれるから、事実確認が楽で助かる。
例えば犬という言葉を聞くと、犬の種類はもちろん、それを題材にした歌や物語、骨格や餌の種類、病気などがふわっと頭のなかに膨らむ。
三次元グラフみたいに、傾向別にxyzに色々なものが広がっていく感じ。もちろんそこからも連想は続く。
空間的に認識できているので、話の途中で戻ることも比較的簡単。
AにたいしてBしてみてはどうか。という内容に対して、ざっといろんなケースをすぐに想定できる。
理論が飛躍するって言われるけど、そこを駆け上がるのが早いだけ。
大体の場合はすぐに最適解を出しても周りが納得してくれないので、自分ではとっくに検証済みの内容を一から議論に付き合うことになる。
最近は最適解にたどり着けるように反証を先にだして導くようにしている。
◯感情論より最適解を優先する。
これは未だに難しいところだけど、いわゆる囚人のジレンマであって人が感情的になるには必ずと言っていいほど個人の損得勘定が働いていることがわかった。
そこに気付かないふりをしつつ、民主主義をうまく使って採決を取るようにすすめるのが今のところ最適解。
でも大抵の場合は、頭そのものがよいというより目的に対して思考が徹底的に洗練されているといった印象。
いわゆるサイコパスと言われる人間も、人情的なものを切捨てて思考するからその分早いだけだなって感じだった。
それで何がいいたいかというと、こういうのってテクノロジーで随分フォローできる時代になったよねということ。
変えられない地頭だからって諦めるより、それに相応するサービスを探すといいことがあると思います。
それと、頭の善し悪しは幸福論に影響はないよ。