2017-03-18

報道しない自由」を許してはならない

日本メディアには「報道しない自由」が溢れている。なぜこうも「報道しない自由」が行使され続けるのか。それは国民マスコミには報道の自由編集の自由があるからと半分諦めて抗議をしないかである。なぜ抗議しないのか、それは国民が「自由」という言葉意味をよく理解していないからだ。

自由定義を難しく考えれば、その説明は本一冊では足りないくらいである。しか私たちがよく使う自由意味は単純に「束縛されることな勝手気まま」という意味殆どである。それではなぜ勝手気ままにできるのか、それは世間で正しいと認められているか自由勝手にできるのだ。公園散歩するのは自由だ、なぜならそれは世間で正しいと認められているかであるしか私有地勝手気ままに散歩することはできない。

報道においてはまだ正しいかどうか分からないことも多いが、多分正しいであろうと判断して報道している。しかしもしその報道が間違っていたならば謝罪責任を取らねばならない。自由とは常に正しくなければならないし、責任が伴うものである。つまり自由意味とは単純に“正しい”と考えればいいのだ。自由とは正しいか自由なのです。

おかし報道に対して抗議をすればいつも「報道の自由がありますから」「編集の自由ですから」と返事が来る。しか自由という言葉にひるまずに「その報道は、その編集は正しいのですか」と聞き返せばいいのだ。「報道しない自由」に対しても放任せずに「それを報道しないことは正しいことなのですか」と追及すればいいのだ。

例えば中国圧政に抗議してチベットでは百人以上の坊さんや尼さんがガソリンを被り焼身自殺をしている、世界中国圧政を知らせたい一心からしか日本国内マスメディアでは中国に遠慮して殆ど報道されることはない。欧米では知られているのに日本人ほとんど知らない。これに対して私たちは「これを報道しないことは本当に正しいことなのですか?」と強く抗議すべきなのだ

基本的自由なんて言葉無視すればいいのです。「報道の自由だ、編集の自由がある」とマスコミが言っても「ハイハイ日本には自由保障されています、どうぞ、どうぞ自由気ままに報道してください、しかしその報道は本当に正しいのですか?間違っていたら責任を取ってくださいね」と反論すればいいのだ。

皆さんも「報道しない自由」を見つけたら「それを報道しないことは本当に正しいのですか」と抗議、追及してください。「報道しない自由」など絶対に許してはならないのです。

  • そうだな!最近のマスコミは安倍にビビって安倍のことを悪く報道できていない。 もっとあることないこと焚き付けて安倍がやめざるを得なくさせるべきだ!

  • 会社は利益を求める集団です 儲からないものを報道するわけねーじゃん

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