ネットで嫌われるのが嫌なら匿名性の高い2chなどにいれば良い。コテハンを付けるなど目立つことしなければ、書き込みは嫌われるかもしれないが、少なくとも明確な個人として「自分」は嫌われない。
それでもツイッターのように明確な「自分」のある場所にきて、なおかつ出来るだけ嫌われたくないと言うのなら少なくともできるだけ他者を貶めないよう努めるべきである。これはネットだけではなく実社会でもそうである。
生きていればみんな例外なくなにかに不満を持っており、みんなそこに折り合いをつけて他者と関わっている。それが社会で生きるということだからだ。それを我慢せずに不満を吐き散らせば嫌われるし避けられるし叩かれる。当たり前だ。誰もそんな奴とは関わりたくない。肩を持つ人間もだんだん減っていくことだろう。
自分を叩いてくる奴がいるからこんなに不満があるのだ。自分は悪くない。自分は正しい、とするのはとても楽なことだ。
ただ、果たして「なんの罪もない」「なんにも責められることをしていない」「汚点一つない潔白な」人間を好き好んで叩く奴がそんなに多くいるだろうか。
「炎上」というものは「燃料」があって初めて起きるものであるはずだ。火のないところに煙は立たないのだ。大勢の人間の非難が集まった場合、それが多くの人間の共謀や上位の地位の人間による圧力、情報操作によるものでもなければ、根本的な非は、それに対する非難の仕方に是非はあれど、「火種」にあるはずなのだ。
自分がこんなに責められるのはなぜか?本当に自分に非はないのだろうか?他者から叩かれている時ほど、そういう点を考慮する必要があるだろう。
もし自分に本当に非はないと思うのなら、そういった人間と関わるのをやめるべきである。幸いネットでの付き合いはそういったことがとても容易だ。
自分がなにをしようと文句を言う人間はいる。致命的に自分と合わない人間はいる。そういった人間のために精神的に辛い思いをするのは至極馬鹿らしい話である。人の噂も四十五日という言葉もあるように、関わることをやめればそれらの人間も飽きるだろう。炎上に対し一番効果的なのは燃料を渡さないこと、とどのつまり「無視」なのである。
ただ、少しでも自分に非があると思える所があるのなら改善するべきであるし、少なくとも改善しようとするべきだ。明確な短所を含めても好きでいてくれる人間は非常に少ない。人は一つの短所だけで嫌われうる。
自分の非を認め改善しようとしても叩いてくる人間がいるのなら上述の通り縁を切るべきだ。なにをしても文句を言う人間は付き合うに値しない。自分の非を咎める人間も必要ではあるが、その上で付き合うべき人は自分が正しいことをしている時に応援してくれる人なのだ。
そう思うのは楽であるし、実際にそういうケースは腐るほどこのクソッタレな現実にはある。
ただ、それが事実なのか、それとも現実逃避なのかというところはきちんと見極める必要がある。完璧に正しい人間が存在しない以上、絶対に自分が悪くないケースなどそう多くはない。
もちろん自分だけでそういったことに気づくことは大変難しいことではあるが、だからこそ、もし助言をくれる人がいるのなら、その言葉に耳を傾けるべきだろう。
それでも耳を塞ぎ他人の言葉を受け入れず自分の正しさだけを盲信するのならば、残念ながら君の居場所は人間社会にはないだろう。
増田で叫ばれてもねえ
「ひとのわるぐちいうならじぶんがいわれてももんくいうなよ」 で済む話をどんどん広げていって善悪とか短所とか気持ち悪いエゴの押し付けまで行ってしまってるのが残念な増田。
間違い 人の悪口を言う人間がやってはいけないのは「人に悪口をいってはいけない」と言うことで 自分が言われて怒るのは全然問題ない サッカープレイヤーが相手に点を取られて怒る...