何が言いたいか、何を伝えたいかなんて自分にはよくわからなかった。
それでも、こんなにもジャニヲタを辞めたいと願った日は無かった。辞めたい、辞めたいなんてもう口癖のようなもので。例えるならばケーキを食べながら痩せたい、なんて言うものとなにも変わりやしなかった。それなのに、何故こんなに辞めたくなったんだろう。
事の始まりはただチケットが当たりにくくなったことだと思う。今振り返ってみれば、2016年の春から冬に出た舞台やコンサート、そのすべてが落選だったことだろうか。(秋は1枚だけ当選)出演者が多かったり、キャパが小さいことで当たりにくいことなんてわかりきっていたものもあった。それなのに、1枚ぐらい当たるだろうと思っていたものが当たらなかったことは受け入れきれないものになっていた。なんで、ただその感想だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
それでも、友人に譲ってもらったり、一般で当てたり、唯一自分で当てたものの席が良かったり、とまだ自分を保てていたような気がしていた。辞めたい、なんて思ってもわたしを引き戻す自担を見ていたいと思っていた。
それなのに、いつからだろうか。某BSのテレビ番組を見ても何とも思わなくなったのは。雑誌を見るのをやめたのは。Twitterで自担の写真を保存しなくなったのは。全部、全部気づいたらいつの間にかだった。友人がヲタクを(一瞬だけ)辞めたからだろうか。自分より歳下の友人がジャニヲタを辞めると聞いて、焦った自分がいたからだろうか。それのせいで必死に辞めようと思った。どうにかして自担から意識を逸らそうとして、モデルのTwitterを見始めた。「あ、かっこいい」そんなことを思いながらも嵌まることは出来なかった。それでも、ジャニーズよりも値段が安い舞台やコンサート、さらには撮影会なんてものもある界隈に嵌りたいと心の底から思った。お金は払うけれども推しとツーショットが撮れる、握手ができる、そんなものジャニヲタには堪らないものだと思った。どうせジャニーズはツーショットも撮ることも出来なければ、握手なんて無理。どれだけ舞台やコンサートを見に行っても、あっちからしたらそんなこと関係ないわけで。
そんなことを考えながら、いつまでも立ち止まっていた。
もしも、ここで辞めてしまったらわたしのジャニヲタをやっていた6年間はどうなってしまうんだろうか、なんて思いがあったのも事実だった。黒歴史として葬られてしまうんだろうか、それともいつか「あの頃は楽しかった」なんて言って振り返るんだろうか。そんなことを考えていくうちに自分がどうしたいのかがわからなくなった。辞めてしまいたい、でも辞めたくない。いっそのこと、写真も画像も雑誌もグッズもTwitterのアカウントでさえ捨ててしまおうかと思った。そこまで考えたくせに、踏みとどまっていた理由はなんだったんだろう、なんて自問自答してみた。それでも、答えなんて出てこなかった。
いつか心理学の本で読んだことがあった。「人の恋愛感情なんてものは3年で終わる」それもそうかな、なんて思った。今考えれば、元担から降りたのも丁度3年経った時だった。そして、今も丁度3年と少し。ああ、これがアイドルを追いかける人間の限界か、なんて妙に納得した自分がいた。
わたしはこのまま辞めることなく、ずるずるとジャニヲタを続けていくんだと思う。そして、いつの日にか現実を見てこの世界から手を引くんだと思う。そのときに、こうやって悩んだ自分を思い出すんだろう。そして、そのときに自担との幸せな思い出が少しでも蘇ればいいと思う。
ここで辞めてしまったらわたしのジャニヲタをやっていた6年間はどうなってしまうんだろうか ヘッセの『クヌルプ』を嫁