2015-10-14

落語家SUGEEEEEってなった話

ちょっと前の話だからかいところはちょっと曖昧

食レポで行きつけのラーメン屋を紹介するっていう話で、かなりの大御所落語家さんがゲストだった時のこと。

細身で筋肉質な人なのでラーメンなんて食べるものだろうか?と、かなり懐疑的にみていたというのはあった。

よく女性芸能人なんぞが体型維持だかなんだか知らないが出されたもの手に持ったまま食べる気配を見せなかったり、一口かじるだけでそのままの食べ物いつまでも画面に映り続けてたりして、あまり品がよろしくないと常々思っていたからだ。

ましてやラーメンなんてものカロリー塩分の塊のようなもの制限されている人も少なくない。

どうせお茶を濁す程度に食べて終わるのだろうと思って眺めていた。

そうして湯気立ち上るラーメンが運ばれてきて、まずは見た目や具材のレポート

昔ながらなラーメンシンプルさをさすがのボキャブラリで過不足なく褒めていた。

目を奪われたのはその直後、実食のシーンだ。

どうせ数本を申し訳程度にすすって終わりだろうと見ていると、おもむろに箸いっぱいの麺をもちあげたではないか。

予想を裏切られたことに驚きつつも顛末を見つめていると、その直後の行動の鮮やかさに本当に驚かされてしまった。

麺を軽く上下させたかと思うと不意に上の方だけひとかじり。

残りの麺をさっとどんぶりに戻した。

それで何事もなかったかのように「うん。やっぱりこの味だね。」というようなコメント一言

その流れが余りにも鮮やかで一瞬何が起こったのか把握できなかった。

何がすごいのかといえば、何より絵的にまったく破綻がないことだ。

麺をたっぷり持ちあげるからまずはすごく美味しそうに映る。

上下させて不意にかじりつくので、意識的に見てなければ麺を戻したことにまず気がつかない。

そこにさすが落語家といわんばかりの啜り音だ。

ひとかじりしかしていないことなんて、おそらくその場にいた人すら全く気づいていないだろう。

実際隣で見てた嫁に「今の見た?」と聞いてみても、まったく何のことかわからないようなキョトン顔。

おいしく食べたに違いないと信じて疑ってすらいなかったのだ。

さらに実際にはわずしか麺が口に入っていないのだから、箸を置くと同時にはじまるコメントにも淀みがない。

バカみたいに口いっぱいに頬張る姿を全国に晒す必要もないのだ。

行きつけの店なのだから別にしっかりと味わう姿を見せる必要もなくて、一言「この味だね。」が慣れ親しんていることに対する十分すぎる説得力

そこから店主との昔話みたいな流れで食レポ自体は終わりなのだけど、当然ラーメンが出てきてそれを美味しそうに食べてみせるという絵がなければ馴染みってことの説得力は生まれないし、それこそ健康にでも気を使ってるのかなんて思われたら興ざめもいいところなわけだ。

思い返してみれば何をとってしても完璧だった。

笑点でいつもバカみたいなやり取りばかりしてることさえ、見ている我々が手玉に取られているだけに思えてしまうようなほどだ。

流石でございました。6代目三遊亭円楽師匠

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