いわゆる「勉強」は楽しくない。勉強はそのほとんどが暗記と反復練習によって構成されるからだ。
「こんなことをしてなんになるのか」と感じるのは暗記と反復練習をくたくたになるまでするからだろう。
暗記と反復練習が好きな人なんてあまりいない。ゲームのレベルあげですら面倒な人も多いのに、勉強で反復練習が楽しいわけがない。
僕は大学院生だが、自分で調べて、なるべくわかりやすいように電子データ(ワードなど)にまとめ、発表し、フィードバックをもらうのは楽しい。
深く調べて、自分なりに情報をまとめている間に知識も自然と覚えていく。
よく考えてみれば、知識は本来他人に授けるものだ。数学だって英語だって物理だって、本来は他人になにかを伝えるためのものだ。
xy座標上の円について他人と話したいなら数学という道具を使うし、英語圏出身の人と話したいなら英語を使うし、電流について厳密な話がしたいなら物理という道具を使う。
伝えること、シェアすること、世界観を共有すること、それが知識の本来の役目だ。知識は自分の頭の良さを自慢するためのものではない。
なるべく深く調べ、読みやすくわかりやすくまとめ、知識を他人に教えてあげる。これが知識の本来のありかたであって、
こういう学び方はすごく楽しい。だから、勉強がつまらなくて死にそうな学生は、「知識を調べて、他人にわかりやすく説明してあげる」ということをするといい。
聞いてくれる友達がいなければ、ネットのブログで発表してもいい。
(このときに気をつけるべきは出典をちゃんと明らかにすること。著作権の問題もあるが、他人が読んで、本当に正しいのか疑わしい知識を発見したときに、その人が出典にさかのぼって調べることができるからだ)
わざわざ本をいっぱい借りて調べなくても、教科書の内容を自分なりに友人・家族に説明して、質問を受け付け、感想を聞くだけでも楽しいし、自然と学べる。
同意。 そもそも勉強=暗記というのがおかしい。 ググればわかること覚える意味ない。
意味ないのにテストに出るという
元増田の言う楽しさには完全に共感できるけれど、それも勉強で、研究は未踏の知に新たな一歩を刻むこと この違いを意識せずに「勉強好き」な人が研究職を選ぶのは死亡フラグなので...
今はもう文系でも欧米の学者の仕事を翻訳するだけみたいなのは許されなくなってるの?