2014-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20140113172856

もう十年近く前、はてな非モテ論争が全盛期だった頃に暴れてた非モテブロガーの一人です!こんにちはこんにちは

こういう分析ってリアリティあるように思えるのかねえ。的外れもいいところなのだけれど。

そういえば当時は「非モテミソジニーだ」という「定説」が存在して、何を言ってもその文脈で解釈されてゲスパーされて炎上させられて最後には黙らされたものだよねえ。それが嫌で結局ブログもやめてしまったのだけれど。

普通、人を好きになれば、相手の立場や気持ちを考える。

好きになってもらえるよう、魅力的な人間になろうと努力する。

下手にアプローチして、相手に嫌われたら、縁が切れてしまったら、と臆病になる。

非モテ男にはどれもない。

少なくとも自分のことだけを言うならば、これは全くもって逆だったな。臆病になりすぎて「嫌われたくない」という神経質なオーラを全身から放っていたため、勝負に出る前から負けていたというのが本当のところ。

勿論、私のパターンが全員に当てはまるとは言わないけれど、少なくとも人は千差万別なのにどうして「非モテとはこういうものだ」とそんなに安易に断言できるのか、そしてそれに支持が集まるのかわけわからん

現在の私は非モテどころかモテと言われるべき状況だが、そもそも服だろうが、話し方だろうが、人との接し方だろうが、何も変えたつもりはないのだよね。ただ環境が変わっただけ。男女比が7:3ぐらいの過酷環境から4:6ぐらいの緩い環境になり、そして年齢が上昇してお互いの「人を見る目」と「寛容さ」が養われ、それが全て。

結局、当時の脱非モテ議論だのミソジニーだの何だののわかったようなわからんような話の全ては、私にとっては無駄しかなかったわけだよ。何のためにあれこれ悩み、毎晩向きになってブクマだの記事だのを上げていたのかと思えば苦笑するしかない。結局あれ、お互いが想像上の「非モテ」を巡って議論ごっこをしていただけなのだね。群盲象を撫でるとはまさにこのこと。

はてな村での「非モテ」話の流行はとっくに過ぎ去ったと思うのでこんなものをわざわざ読んでいる人もいないと思うが、もし悩んでいる若い人がいれば、ミソジニーだのなんだのの話は気にしすぎないことをお勧めする。いや、興味があるなら見たって良いんだけれど、到底全員に当てはまる話ではないからね。自分ミソジニーなのかと思い悩んだり、あるいはミソジニーと決めつけるとは何事だなどと怒りを爆発させる必要なんてない。時間無駄から。確実に言えることはそのくらいだね。

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