2014-01-08

死と向き合わない人々

この国でも日々たくさんの人が死んでいる。老衰病院死ぬなどというばかりではなく、事故死や災害死や自死もたくさんある。そして、日々死んでいるにもかかわらず、暮らしていても、せいぜい、葬儀場や霊柩車救急車を見かけるくらいのもので、おそらく多くの人は、死体や、ましてや、死体の山なんて、予期せず見たことはないのだろう。

ちなみに、私とて死体の山は見たことがないが、公園で首つり遺体を見かけたことはある。それと、ついでに言えば、親は殺されたし。

いまでも世界中では餓死も凍死も殺人日常茶飯事だ。ところがこの国では、死というのはおよそ隠蔽されているし、なかなか見かけない(ようにされている)。もともとは、死を見かけることは日常茶飯事だったからこそ、死を隠蔽しようとしてきたのだろうに。

世界中では、自分家族が死にかねない状況になったからこそ他人を殺す者がたくさんいる。刺すか刺されるかという状況で、刺す方にまわるのだ。

それに比べれば、この国はいささか滑稽で、また、異様だと思える。他人を誹謗中傷したり、いじめたりする者がたくさんいる。そしてときに、それが原因で被害者自死したりもする。

死というものと本気で向き合っていたならば、こうも安易に他人を誹謗中傷したりすることができるのだろうか。

さらに言えば、インターネット上であれなんであれ、「ヴァーチャル」ではなく、社会の一部だ。その表社会の一部で、見ず知らずの他人に対して誹謗中傷を浴びせかける者がいるが、はたしてどういうことなのだろうか。

きっとおそらく、加害者の方も精神的に困窮しているのでしょう。たとえ肉体や食欲などが満たされていたとしても。

最近はやたらと「保守」だの「愛国心」だのと言う人がいて、そういう社会風潮にもされている。けれども、この国では毎年何万もの人が自死している。「死にたければ死ねばいい」と言う者がいるが、多くの場合は、その人が生きられない状況にしたのは社会の方だ。つまり、みなが、生きづらい社会にしているから、追い詰められた者から順に死んでいく。崖からこぼれおちるように。いわば殺人だ。このような実情で、なにが愛国なのか、道徳なのか、そんなことをなんで言えるのか、私にはわけがからない。

高齢化が進んでいるから、これからますます死が増えていくだろう。単に老衰やら癌やらで死ぬばかりではなくて、生活困窮で餓死や凍死や自死をする人がますます増えていくだろう。例えば、金銭的に介護を受けられなくなった人が死んでしまうことも、増えていくのだろう。

みなが本気で死と向き合っていたならば、はたして、浮ついた言動は取れるのだろうか。

  • 典型的な繊細チンピラの戯言としか思えない。 てめえが馬鹿なこと言っておいて、指摘されたら誹謗中傷だと騒ぎだす、そんな馬鹿だけが一方的に有利なルールが通用するかっての。死...

  • みなが本気で死と向き合っていたならば、はたして、浮ついた言動は取れるのだろうか。 論旨が良くわからないんだが、 浮ついた言動って何? 他人を誹謗中傷すること? 「保守」だ...

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