2012-12-28

http://kimoto.hatenablog.com/entry/2012/12/26/145028

暴力的なゲームは明らかに暴力的な思考に結びついてる」キモブロ

http://kimoto.hatenablog.com/entry/2012/12/26/145028


ぶひー!

散々議論されていることだが、残虐性の強いゲーム教育における有害であるが、これについては正直僕はわからない。どちらでもあると言える。

そもそも、残虐な行為という概念は、社会性ある大人の尺度だ。

腕がもげる、血が飛び散る、女性が犯される、それらの表現の残虐性について理解していない子供に繰り返しそういう映像を見せることが精神に影響を及ばさないのかと言われたらそれはそうかもしれない。

せめてこれは悪い行為だ、これは残虐な行為だと理屈でいいからわかるようになってから遊んで欲しい。

勧善懲悪で帰結するストーリーならまだ救いはあるかもしれないが、そういうものばかりではない。

からといって、そういう勧善懲悪フィクションばかりを取り上げれば良い子に育つかというと当然そうではないし、実のところ僕はそういう映画ゲーム人間がもつ残虐性の受け皿になるという考え方には賛成だ。


僕は変わった少年で、ガンケシやキンケシと言われるゴム人形の頭をもいだり、爪楊枝で串刺しにして並べているような子供だったらしい。らしいというのら本人は記憶に無いからだ。平たく言うと異常だった。

僕が最も敬愛するデザイナーのW氏は、幼稚園の頃からきな子エレベーターに閉じ込めて遊んでいて、それを見つかってこっぴどく怒られたことがあるらしい。笑い話であるが、笑い話ではない。

攻撃性、残虐性、独占欲、性欲。

スポーツで汗を流して忘れさせるか、ゲーム映画で一時的に発散するか、どちらが良いのかはわからないが一つ言えることは、必ずそれは存在するところにはするし、無いことには出来ない。

教育というと、なにか良い光を当てることだけを連想するが、負の感情や悪の意味を教えることも立派な教育だと思う。

人が殺されるシーンや、女性が犯されることに興奮する人間はいたって平凡な悪人である不思議でもなんでもない。残虐な行為に興奮できるのは、その人間が事の残虐性を理解しているかであると言える。そういう人間が無茶をしうないように周りや社会監視するのは比較的簡単だと思う。

また、血や、死体に美を見出すような人物もまだ幾分かは理解できる。ただ美的感覚一般人と違うだけである

最も異常だと思うのは、最も恐ろしい人間は、なんの感情も持たない人間である

食事をするように他人を殺し、髪をかき上げるように異性、同性を犯すことができる人間がいたら、それは異常だと思う。

理性でも、本能でも良い。そのどちらでも残虐性を理解していない人間がいたらそれは恐ろしい。

そして、そういう人物とゲーム関係性は、今のところ無いように見受けられる。

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