2012-06-19

本当に嫌だった。

今も嫌だ。

知恵がつけばつくほど家族のやってきたことの酷さを知ってますます嫌になる。

家族への恨みにとらわれて、家族が何をしてきたか嫌悪憎悪をベラベラ喋り

似た者同士寄ってきては自分の親が如何なる毒親であったかを飽きずに語り合う。

だがしかし、それこそが、毒なのだ。毒されている証拠なのだ

毒親と親を認識した時から、毒は子の体に回り始める。

毒親だと親を蔑めば蔑むほどその子は毒にどっぷり犯された毒子になる。

でも、私は毒家族なんて単語を振り回して自分時間を浪費したくない。

たか環境の良し悪しで家族を恨んだり家族を許したり振り回されたくない。

から辛い時も苦しい時も考える。

どうすれば温かい家族になれたのか、どう言えば気持ちの良い家族になれたのか。

そして今、それを踏まえて、現在家族にどうすれば良いのか、どう言えば良いのか。

どんな言葉を使えば最も心穏やかで、どんな風に言えば最も素直に話し合えるのか。

互いに良い影響を与えあう家族になるには、どんな行動をとるのが正しいのか。

苦し紛れに「親なんてどうなったって知らない、自分さえちゃんと生きれば関係ない」なんて思わない。

自分が正しいことをやるのが大事過去のことはもう全て些細なこと」とも思わない。

家族の事を一つ一つ、過去の事を一つ一つ、委細漏らさず大事に考えていく。

自己憐憫自己愛の苦し紛れに、家族をハズレの家族・最低の家族と決めつけたりもしない。

一分の良心も一つの正しい行動も、自分家族には全く存在しなかったと、

どうして都合よく無視できるのか。

所詮自分がこの目で見てこの耳で聞いた範囲の事を全てだとしているに過ぎない。

から隅まで家族の全てを知りもしないのに、研鑽され経験を積んだ思考力もないのに、

どうして未熟な判断力のまま、若い浅知恵で、家族を駄目な奴だと完全に決めつけられるのか。

本当に自分はそれで正しいのか疑い続けるのを忘れれば、自分良心を失ったことになる。


家族の事は勿論、物事をただ其の物事として

苦痛に曇らされず、すべき正しい言動を取れるように勉強を沢山できますように


もう一つ。

何故、自分はこんな家庭で生い立ちであったのか。

もっと良い親であったら、しなくて良い経験をせずに済んだのではないか

自分人生はロス無しで、もっと明るく幸せな生い立ちでもっといい人生になったのではないか

こんな思いがたまに心を過ぎらないではない。

何故、自分はこんな家庭でこんな生い立ちでこんな経験をしてきたのか?

その理由をもし親に求めて辿っていくのなら、更に3代、5代、7代と原因を求め遡って

貧しく人心も開けぬ閉鎖的封建的農村とその精神が悪かったのであり

結局はそれを生んだ日本の歴史が悪かったということになる。

私は歴史が好きなので思う。

やったね!私がこんな生まれ育ちなのは、なんと歴史宿命だったんだよ!

やっぱり私は歴史の中に生まれ生きていたんだよ!大感動だね!

あの家庭の中で私があの経験をしなければならなかったのは

日本の歴史がこの私を選んで託した歴史課題からだったのだよ!

トインビー風に言えば、歴史から私への挑戦だよ。

私は歴史好きな者として、なんとしてもこの挑戦を受けて立たねばならない。

課題を克服して新しい歴史に繋がなくては死ねない。

これはただの激しい思い込みかもしれないが、倦まず弛まず進むためにこの思いを忘れない。


さて、私は早く黙ってやるべき学習に戻るんだ

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