2011-03-01

定年を迎えた父

今年の誕生日で父が定年を迎えた。(ちなみに60歳定年制の会社

定年後も再雇用でそのまま職場も変わらずだけど、慰労会を開いてもらったとかでお礼状を書くことになったり、

年金事務所に手続きに行ったり書類を書くことがあったりで家族が駆り出された。

父は世代にしても珍しい字の汚い人のためもあるけど、

子どもに甘えたいのか「お礼状のあて先を書いて欲しい(文面はPC作成印刷のため)。数は130」と頼まれた。

自分デジタルネイティブな世代でもなく、こつこつ文通したり、部活でOBOGに手紙を書く機会があったので

数はそれほど苦ではなかった。

年金関連の書類も本人がサインしなくてはいけない所は除いて、現住所とかちまちま書いた。

そうすると本人が今まで言わなかった仕事をする父が浮かび上がってきた。

箇条書きにすると、

工業高校新卒で大手石油メーカーに入社

石油メーカーから私鉄転職

・(勤め先の私鉄大手私鉄グループの傘下に入る)

・定年を迎える&再雇用(今現在

いわゆる団塊の世代学歴が重視された世代としては上手くいった方の経歴に入る。

しかし、実際には高卒であることから入社した大手石油メーカーでは夜勤のあるシフト

朝起きて夜寝る(そして三食後毎に●する)リズムの体であった父には相当なストレスであり憂さ晴らしに賭けごとを覚えた。

そしてまだ縁故の力が強かった時代ゆえ、とある私鉄に親戚のつてで入社する。

駅員さんではなかったが駅ビルなど設備関連の仕事なので、夜勤たまにあったが本当にたまにだった。

そしてこの頃、母とお見合い結婚する。(当時母と共稼ぎであったが母が私を妊娠すると母は仕事を辞めざるを得なかった。時代の問題)

父本人の私生活家族の話)はいったん置いておくとして、

数年勤めていくと会社システムが分かってくる。

やはり「高卒」だと限界があり、どんなに仕事ができない人でも「大卒」というだけで昇進していく。

徐々に父は荒れることが多くなり、子どもにしつけだといいながら柔道の絞め技をかけて戻させたりしてきた。

そしてパチンコはまり、周囲から借金をし結局総額1000万程になった。

母は家計を何とかやりくりし、借金を返済したが嘘をついてお金パチンコに使う父に愛想を尽かし、

もし祖父(父の父)が認知症徘徊したりしなければ実家に帰っていたと思う。

今も父と母はあまり直接話さない。

でも1時期は子どもを通信役にしてしか会話しないので本当に兄弟で迷惑した

いまだに嘘ついてパチンコに行くし、家族が付き添わないと持病の糖尿病治療にも行かないけど、

歳を考えればそれなりに元気だと思う。

やられたことは忘れられないけど、今持っている仕事を人に引き継げる父はうらやましい

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